大河ドラマ『太平記』などにも出演経験がある女優の小田茜さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
芸能界デビューのきっかけは?
結婚や夫は?
子供は何人?
今回は女優の小田茜さんをリサーチしてみました。
小田茜の学歴・生い立ち・経歴
名前 小田茜
生年月日 1978年11月6日
出身 栃木県真岡市
身長 164cm
血液型 A型
所属 FOMIC’S Group(個人事務所)
中学校・上三川町立上三川中学校
高校・・日出女子高校
大学・・進学していません。
田んぼとか畑とかしかないような田舎で育ち、父親の職業は自営業。
日本人離れした容姿ですが、両親共に日本字人でハーフではありません。
小学生の時にはミニバスケットボールクラブに入り、ポジションはセンター。
11歳の時に芸能界入りしました。
中学校は上三川町立上三川中学校を卒業し、高校は日出女子高校・芸能コースに進学。
東京都目黒区目黒に私立高校で2005年に男女共学化され、2019年に目黒日本大学高校に改称され、日本大学の準付属校になっています。
現在の偏差値は48。
同級生には青山倫子さん、矢田亜希子さんなどがいました。
高校卒業後は大学などには進学せず、芸能界に専念しました。
小田茜の芸能界デビューのきっかけは?
小田茜さんは小学3年生の頃から芸能界に憧れ、女優になりたいと思い始め、自身の希望で1990年、小学6年生の11歳の時にスカープロモーション主催の『第4回全日本国民的美少女コンテスト』に応募。
グランプリを獲得して芸能界入りしました。
小田茜 デビュー後
1991年の大河ドラマ『太平記』の顕子 役で女優デビュー。
同年6月から放送された『先生のお気にいり!』(TBS)では中学1年生でしたが、高校2年生の女子高生役を演じました。
1992年3月に日本コロムビアから『あなたがいるからここにいる』をリリースし歌手デビューしましたが、歌手としては翌年の1993年1月に2枚目のシングル『南の国から来た手紙』を出して以降は活動していません。
1993年1月から放送された『いちご白書』(テレビ朝日)で連続ドラマ初主演を果たしました。
当時中学2年生で、キスシーンがあり人生初のキスで、相手は当時、高校1年生だった松岡昌宏さんでした。
デビューした頃は、国民的美少女のイメージだけがどんどん先行していくこと戸惑いを感じていい、イメージに近づいたと思ったは20代になった頃だったそうです。
2002年1月から放送され主演を務めた『ピュア・ラブ』(MBS毎日放送)は2003年まで3シリーズ制作されました。
小田茜の結婚や夫
小田茜さんが結婚したのは2008年7月、29歳の時でした。
夫は航空会社に勤務する当時、37歳のパイロットの男性。
馴れ初めは共通の知人の紹介で、2006年に出会い、当初はグループで会っていて特に意識はしていませんでしたが、徐々にお互いに意識するようになり、2007年に交際に発展。
約1年の交際期間を経て結婚しました。
結婚後は芸能活動をセーブし、北海道に住んでいました。
しかし、結婚10年目の2018年に離婚。
『特に子どもが小さい時って、夫に相談したいことがたくさんありますよね。そんなときに連絡が取れないと、「なんで、側にいてくれないの?」と、怒りと悲しみでやりきれなくなっちゃって……』
引用・https://fujinkoron.jp/
不満が重なり、お互いの心が徐々にすれ違っていって大きなきっかけはなかったそうですが、そこからは止められなくなり、離婚に至ったといいます。
離婚後、2023年8月に配信ドラマ『季節のない街』で14年ぶりに女優復帰しました。
小田茜の子供は何人?
小田茜さんの子供は息子が1人。
2010年1月に誕生しています。
離婚時、子供は8歳で、離婚後の親権は小田茜さんが持っています。
シングルマザーになった後は、実家のある栃木と東京での二重生活を送っているといいます。
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