しゃべり方が独特なことで知られる戦場カメラマンの渡部陽一さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
戦場カメランマンになったきっかけは?
テレビに出演するようになったきっかけは?
結婚歴や妻は?
子供はいる?
今回は戦場カメラマンの渡部陽一さんをリサーチしてみました。
渡部陽一の学歴・生い立ち・経歴
名前 渡部陽一
生年月日 1972年9月1日
出身 静岡県富士市
身長 180cm
血液型 A型
所属 ビー・セブン
小学校・富士市立田子浦小学校
中学校・富士市立田子浦中学校
高校・・富士高校
大学・・明治学院大学
父親、母親、弟、妹の5人家族。
父親は会社員、母親は市場のシラス屋に勤務。
海近くの社宅アパート住まいで、祖父も同居、子供の頃はよく釣りをして遊んでいました。
小学校は富士市立田子浦小学校、中学校は富士市立田子浦中学校を卒業。
釣りが好きだったことから、小学生の時の将来の夢は海や魚の研究者になることでした。
小学校1年生から父親の会社の開いた剣道教室に週3回稽古に通い、夢中になり稽古のない日も自宅や公園で素振りをしていました。
中学時代は剣道部に所属し、初段を取得しています。
中学の時にあだ名はエスパー伊東だったといいます。
高校は富士高校に進学。
静岡県富士市松本にある男女共学の県立高校で、偏差値は68。
静岡県内では有数の進学校です。
高校までは自転車通学が片道40分。
バドミントン部に所属していました。
高校卒業後は明治学院大学に進学。
東京都港区白金台に本部がある私立大学で、法学部の偏差値は63。
受験では『バンカラ』に憧れて早稲田大学を受験しましたが、3年連続で不合格にになり、2浪で同大学に入学しました。
法学部を選んだのは、弁護士や検察官など困っている人を助ける仕事に就きたいとの思いからだったといいます。
大学時代に戦場カメラマンとして活動を始め、大学は2年留年して卒業。
大学卒後業後は、戦場カメラマンの道に進みました。
渡部陽一が戦場カメラマンになったきっかけは?
大学1年生の時に講義で、今でも狩猟生活をおくっているピグミー族の存在を知り、自分の目で見てみたいとアルバイトでし資金をため、ザイール(現在のコンゴ民主共和国)に渡航。
ピグミー族の居住地域まではジャングルなどを2ヶ月間移動しなければならず、ヒッチハイクをしながら向いました。
当時のザイールはルワンダ内戦の影響の拡大で紛争が起きていましたが、渡部陽一さんその情報を詳しくは収集していませんでした。
ヒッチハイクで乗せてもらったトラックで移動中に、銃を持った少年ゲリラ兵に遭遇、トラックに向かって銃を乱射され、その後、囲まれ銃の尻でで立ち上がれないほど殴られたといいます。
荷台に載っていた物資やカメラ機材は略奪され、所持していた現金を渡したことで、なんとか殺されずにすんだそうです。
帰国し少年兵との出来事を、家族や友人に言葉で説明しても全く理解してもらえず、それなら写真で伝えようと再びザイールに渡り、今度は情報収集をしっかりして、ピグミー族だけでなく、当時、勃発していたルワンダ内戦の状況を写真に収め、これが、初めての取材となりました。
その後は飲食店や写真撮影のアルバイトで資金をため戦場カメラマンとして活動。
初めて写真が載ったのは『サンデー毎日』でした。
平均して1年の半分は海外に滞在して、コロンビア内戦、ルワンダ紛争、コソボ紛争、チェチェン紛争、ソマリア内戦、イラク戦争など、130の国と地域の紛争地域を取材していました。
大学時代から16年間は横浜の6畳のワンルームに住んでいたそうです。
渡部陽一がテレビに出演するようになったきっかけは?
渡部陽一さんがテレビで人気となったのは2009年末に『1億3000万人の法則』(TBS)で戦場カメラマンの仕事について、インタビューを受けたことがきっかけでした。
その後、翌年の2010年にTBS系のバラエティ番組『笑撃! ワンフレーズ』の出演したことで独特のしゃべり方が話題となり、多くの番組からオファーが来るようになったそうです。
渡部陽一結婚歴や妻は?
渡部陽一さんが結婚したのは2009年、37歳の頃でした。
妻は元美容師の女性。
馴れ初めは知人の紹介で、渡部陽一さんが一目惚れ、、勇気を持ってデートの誘い、映画『もののけ姫』見て、その数年後に告白をして交際スタート。
約10年の交際期間を経て結婚したしたそうです。
渡部陽一に子供はいる?
渡部陽一さんの子供は息子が1人。
2010年に世海(せかい)さんが誕生しています。
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