堺正章さんの元妻だったタレントの岡田美里さんの経歴や学歴は?
3度の結婚歴がありますが、再婚した夫は?
現在は山梨に移住しています。
今回はタレントの岡田美里さんをリサーチしてみました。
岡田美里の学歴・生い立ち・経歴
名前 岡田 美里(おかだ みり)
生年月日 1961年8月24日
出身 東京都港区
身長 162cm
血液型 A型
所属 オフィスコットン
父親、母親、姉、妹の5人家族。父方の祖母はデンマーク人で、父親は日本人の父とデンマーク人の母から生まれたハーフ。
父親はタレントとして活躍したE・H・エリックさんで本名は本名は岡田泰美(たいび)さん。
日劇でコメディアンとしてデビューし、ハーフタレントとして司会業などでも活躍しました。
幼稚園から高校まで聖ドミニコ学園を卒業。
東京都世田谷区岡本にあるカトリック系の私立学校。
小学校までは男女共学ですが、中学校、高校は女子校です。
聖ドミニコ学園中学校の偏差値は50。完全中高一貫制で高校は生徒の募集はありません。
15歳の時に母親が家を出て行き、両親は離婚。
高校生の時には、モデルとして男性ファッション雑誌『POPEYE』などで活動していました。
高校卒業後は、聖心女子大学・文学部教育学科に進学。
東京都渋谷区広尾四丁目にある私立の女子大学で、文学部の偏差値は56。
大学在学中もCMなどに出演し、1984年に大学卒業後は、同年のロサンゼルスオリンピック中継のキャスターを務め、他のスポーツ番組のキャスターやリポーターとしても出演しました。
岡田美里と堺正章の結婚と離婚
岡田美里さんが堺正章さんと結婚したのは1989年、28歳の時でした。
堺さんは15歳年上で43歳。
1974年に一般女性と結婚し、1980年に離婚していて再婚でした。
結婚12年目の2001年に離婚。
岡田さんは離婚後、単独で会見を開き、離婚の理由について、
『最初に離婚を考えたのは5年くらい前。堺のそばで妻をやっていくのが大変でした。お中元やお歳暮で生きたクルマエビや殻つき生ガキ100個とか届いて、食べたいものも食べられない。宅配便が届かない日がない。礼状を書くのもすべて私。』
『結婚当初は堺も今ほど多忙でなく、週に4日間ゴルフをやっていた。なんで長者番付に載らなくちゃいけないの?(堺さんが出演中の)『ちゅらさん』のような仕事をしないお父さんがよかった。』
と話しました、
岡田美里の子供は?
岡田美里さんの子供は娘が2人。
1990年に長女の菊乃さん、1994年に次女の小春さんが誕生しました。
菊乃さんはミュージカル『アニー』で子役デビューをしたましたが、芸能界には進まず、専門学校でアートは学び、卒業後はサンフランシスコとロンドンへ留学。
帰国後はデザイン事務所に就職し、グラフィックデザイナーとして活動しいます。
次女の小春さん堺小春の名前で女優をしています。
6歳の時に初舞台を踏み、10歳の時にミュージカル『アニー』に出演。
父親の堺正章さんと共演した、2007年のNHKの時代劇『夏雲あがれ』以降は学業優先のため芸能活動を休止。
大学4年に在学中の2015年に、約8年ぶりに女優業を再開。
2021年9月には結婚を発表しました。
岡田美里の再婚相手
岡田美里さんが再婚したのは、離婚から2年後の2003年、42歳の時でした。
再婚相手はスポーツインストラクターの柳沼則夫さん。
離婚したのは5年目の2008年。
離婚の原因は価値観のずれだといいます。
岡田美里の再々婚相手
再々婚を発表したのは2022年5月、60歳の時でした。
夫は2歳年上の貿易会社を経営する男性。
出会ったの岡田さんが18歳の頃で、古い知り合いでした。
2度目の離婚の後に、岡田さんがマネージャーに、
『私なんかもうダメよ。この先私を求めてくれるような男性は現れない』
ち愚痴をこぼすと、マネージャーは、
『美里さんは恋をしてなきゃダメ! 昔の知り合いでも何でもいい、誰かいい人いないんですか?』
と励まされ、ふと思い浮かんだの夫だったといいます。
夫はしばらく海外で仕事をしていたこともあり、連絡先はわからなくなっていましたが、マネージャー連絡先を突き止めてくれて、14年ぶりに電話をして再会を約束。。
男性に自分から電話をするのは初めてで、ドキドキだったといいます。
当時、岡田さんは自身のアクセサリーブランドが軌道に乗って忙しくなり、疲労による免疫力低下から身体を壊しかけて困っていた時、夫が『じゃあ僕が手伝うよ』と勤務していてアパレル企業を退職し、岡田さんの会社に入ってくれたそうです。
その後は、入籍はしないまま公私にわたるパートナーとして付き合いを続けましたが、コロナ禍で、
『夫婦でないと何かあっても駆けつけられない』
と入籍を決めたそうです。
現在は山梨県に移住
岡田さんは入籍する2年前の2020年に、パーキンソン病と診断された母親を介護するために、東京の仕事を清算し、母親を連れて山梨県に移住。
15歳の時に家を出て行った母親との同居は40年ぶりだったといいます。
山梨県ではタレントとして、テレビ山梨の夕方のワイド番組『スゴろく』の1週1回レギュラー出演。
移住から1年後には、『地元に少しでも貢献を』と、社会福祉施設で入所者とともジャム作りを始め、ジャムブランド『ジャムオブワンダー』を設立し、ウェブサイトや道の駅などで発売しています。
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