美川憲一の結婚歴や妻、子供は?おだまりなどのオネエキャラのきっかけは?学歴や経歴

さぞリ座の女や柳ヶ瀬ブルースで知られる美川憲一さんの経歴や学歴は?

歌手デビューしたきっかけは?

恋愛対象は女性で、「おだまり」などのオネエ口調はキャラだと明かしていますが、きっけかけは?

過去には結婚を考えて女性がいて、子供も欲しかったといいます。

今回は歌手の美川憲一さんをリサーチしてみました。

美川憲一の学歴・生い立ち・経歴

名前   美川憲一
生年月日 1946年5月15日
出身   長野県諏訪市
身長   173cm
血液型  A型
所属   オフィス・ミカワ

父親は神田で会社を経営する実業家、母親は社交ダンスのダンサーですが、母親は未婚で美川さんを出産しました。

父親は既婚者でしたが、母親はそれを知らず結婚をするつもりで交際し、妊娠しましたが出産後は父親は会いに来ることなくなったといいます。

実父とは30代の時にテレビ番組の対面コーナーで再会しましたが、それまでは会ったことはありませんでした。

後日、実父の申し出で料亭で2人きりで会い、その時には謝罪されたといいます。

母親はひとりで育てましたが、美川さんが2歳の時に肺結核を患い、母親の姉夫婦に預けられて養父母を本当の両親と思って育ちました。

養父は書道の先生で、自宅にはお手伝いさんもいたといい、幼少期はバイオリンや絵画を習っていました。

小学校は港区立南桜小学校、中学校は港区立愛宕中学校を卒業。

小学5年生の時に養父が他界。その後は養母が、料亭の仲居や保険の外交員をして働き、育ててくれました。

中学1年生の時に、隣に住んでいたおばさんに、

『あんたの本当のお母さんは、叔母ちゃんなのよ』

と言われ、実母ではないことを知りましたが、養母はかわいがってくれていたのでショックはなかったといい、その後、2人の母親に事実を教えられても全てを受け入れられたといいます。

高校は正則高校に進学。

東京都港区芝公園三丁目に」ある男女共学の私立高校で、現在の偏差値は52。

高校時代は剣道部に所属しましたが、養母と実母を養うため高校は1年の時に中退して、芸能界を目指しました。

美川憲一が歌手デビューしたきっかけは?

高校中退後は、俳優を目指して東宝芸能学校に入学。学費は喫茶店や清掃員のアルバイトをして、自身で稼ぎました。

1964年、18歳の時に第17期『大映ニューフェイス』のオーディションを受けて合格し芸能界入りしましたが、当時通っていたジャズ喫茶でスカウトされて歌手に転向。

作曲家の古賀政男さんの指導を受けて、1965年6月1日に『だけどだけどだけど』で歌手デビュー。

青春歌謡路線で美少年キャラでのデビューでした。

大ヒット曲の柳ヶ瀬ブルース歌いたくなかった

1966年4月1日に発売した3枚目のシングル『柳ヶ瀬ブルース』が、売り上げ120万枚を超える大ヒット。

『柳ヶ瀬ブルース』は演歌調で、デビューが青春歌謡路線だったことから、デビュー曲に較べて暗い曲調のため、歌いたくないと事務所の社長に断ると

『ヒット曲もないくせにふざけるな!』

と激怒され、母親が一緒に誤ってくれて、美川さんも仕方なく頭を下げましたが歌いたくはなく、レコーディングではいやいや歌うと、

『若いのにこんなに冷めてるなんてすごい』
『求めていたのはまさにこのイメージだ』

と絶賛されたといいます。

『柳ヶ瀬ブルース』のヒット以降は、翌年の1967年に『新潟ブルース』、1968年に『釧路の夜』などのご当地ソングをヒットさせ、1968年には第19回NHK紅白歌合戦に初出場を果たしました。

コロッケのものまねで再ブレイク

紅白歌合戦には1968年から1974年まで7回連続えで出場しましたが、1977年10月に大麻取締法違反で逮捕され起訴猶予になり、1984年に大麻取締法違反で2度目の逮捕。

判決は懲役1年6か月、執行猶予3年で、以降はテレビの出演回数も減り低迷。

スナックや地方の温泉など回る日々が続きました。

再び脚光を浴びたのはものまねブームがきっかけでした。

コロッケさんの『さそり座の女』のものまねがウケ、1989年の正月に放送された『オールスター爆笑ものまね紅白歌合戦!!』(フジテレビ)に「ご本人登場」の第1号としてコロッケさんと共演。

この出演が大反響を呼び、翌年の1990年にはちあきなおみさんと金鳥『タンスにゴン』のCMに出演。

CM中の「もっとはじっこ歩きなさいよ」もセリフが大注目され、翌年の1991年末には17年ぶりの『さそり座の女』で紅白歌合戦に出場しました。

『私のモノマネをやりなさいよ』

コロッケさんが美川さんのものまねを始めたのは美川さんからの提案だったといい、「ご本人登場」の出演は、番組の審査員に逮捕された裁判の時、減刑の嘆願書も書いてくれて、身内のようにかわいがられていた淡谷のり子さんがいたので、「淡谷さんの顔を見られるだけでもうれしい」と出演を決めたそうです。

コロッケさんには感謝していましたが、共演時にはあえて、

『いい迷惑よ。こんな安物の衣装なんて着てないわよ』

と言うと、この発言もウケて、翌年に衣類用防虫剤「タンスにゴン」のCMのオファーがあったそうです。

美川憲一がオネエキャラになったきっかけは?

美川憲一さんはオネエ口調はキャラであることを公言していています。

『根本は自分で男だと思っている。女っぽくなりたいとも思わなくて』

きっかけは『タンスにゴン』のCMのセリフ「もっと端っこ歩きなさいよ」からだといい、それまでは、線が細いシャープな感じの男性キャラだったそうです。

『あの時点から一か八かで、オネエキャラみたいに(なった)』

CMが大きな反響を呼んだことから、『そのキャラクターでいいなって』と自分でも楽しんでやるようになったと話しています。

美川憲一の結婚歴や妻、子供は?

美川憲一さんに結婚歴はなく、独身で妻、子供はいません。

『私のキャラクターが出た後は、恋愛が難しくなりましたね』

恋愛対象はもちろん男性で、初体験は18歳。友人の紹介で知り合った女性であることも明かしています。

『もし結婚して子供ができて、美川憲一でいられるかなあと考えて…。お父さんが化粧して、お父さんだかお母さんだか分からない、学校でいじめにあったりしないかと。』

オネエ口調になってからは、恋愛が難しくなったそうですが、若い頃には結婚を考えた相手もいましたが、生まれるかもしれない子供のことを考えて、結婚を諦めたそうです。

ただ、子供は諦めきれなかったようで、50代の時に海外に代理母を探し、人工授精で自分の子どもを作ろうとしたといいます。

しかし、その女性から、

『1年に1回、子どもに会わせてください』

と言われ、逆に子どもに対してかわいそうな思いをさせるなと思い、子供を諦めたそうです。

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