お笑コンビ爆笑問題の田中裕二さんは東京都出身。
大学などの学歴や経歴は?
離婚歴がありますが前妻はどんな人なんでしょう?
結婚した山口もえさんとの馴れ初めは?
子供は何人?
今回は爆笑問題の田中裕二さんについてリサーチしてみました。
田中裕二の学歴・経歴
名前 田中裕二
生年月日 1965年1月10日
出身 東京都中野区
身長 153.5cm
所属 タイタン
小学校・中野区立若宮小学校
中学校・中野区立第八中学校
高校・井草高校
大学・日本大学芸術学部演劇学科(中退)
父親、母親、10歳年上の兄、3歳年上の姉の5人家族。
父親は鷺宮製作所のエンジニア。
小学校は中野区立若宮小学校。
子供の頃の憧れはプロ野球選手でした。
中学は中野区立第八中学校。
中学時代バスケットボール部に所属。
高校は井草高校に進学。
井草高校東京都練馬区上石神井にある男女共学に都立高校。
偏差値は60
高校時代のニックネームは『ウーチャカ』。
放送研究会に所属し、『ウーチャカ大放送』という校内ラジオ放送のパーソナリティをやっていました。
人気もあり高校3年生のときには『ミスター井草』に選出されています。
高校時代にはアナウンサーを目指しいたといい、早稲田大学のアナウンス研究会が憧れで早稲田大学に出願しましたが、受験日を1日間違て受験できませんでした。
浪人し翌年、明治大学、立教大学、日本大学芸術学部放送学科を受験しましたが不合格。
合格した日本大学芸術学部演劇学科に入学しました。
大学では軽い気持ちで応援団に入団。
応援団は想像以上に本格的で厳しく、学ランで、下駄履いて、髪の毛オールバック。
怖くて辞めることが出来なかったといいます。
怖いから一所懸命やっていたため先輩に、
「お前は来年、応援団長をやれ!」
と言われたといいます。
さすがに断って逃げたそうです。
放送学科に落ちたことで、テレビ局にアナウンサーになることは諦めていましたが、深夜ラジオをやれるような人にはなりたいと思ってたといいます。
大学は2年で中退しました。
大学を辞めた理由は、
『大学を卒業してアナウンサーという道はないなというのが1つ、それと授業料がバカ高いのに単位も取れなくて、毎年授業料を親に払わせるのはというのもあった。それと、友達や先輩とお笑いの真似事みたいなことをしていて、先輩とコンビを組むことになって学校を辞めた』
とNHKのファミリーヒストリーに出演した際に話しています。
田中裕二 爆笑問題を結成
田中裕二さんはお笑い芸人になったのは先輩に誘われてお笑いコンビを結成したことがきっかけでした。
大学在学中に大学の先輩と『東京ギャグポンプ』を結成。
当時の芸名は『白木屋みのる』でボケ担当でした。
TBS系のバラエティ番組『おじゃまします』に出年し、田中裕二さんは大学も中退しましすが、コンビは2ヶ月ほどで解散しました。
1988年3月、大学の同級生だった太田光さんと『爆笑問題』を結成。
太田光さんと出合ったのは大学受験会場で、太田光さんは試験官に対して
『引っ込めー!』
のセリフを連発していたといい、田中裕二さんは、
『あーコイツ落ちるな』
と思っていたそうです。
田中裕二さんは合格発表のとき、太田光さんが合格したことを知り、
『え、こんな奴が日本大学合格しちゃったよ』
と思い話しかけたそうです。
その時、試験会場とは違い律儀な受け答えをしていたことに驚いたといいます。
太田光さんは1985年に大学を中退していました。
コンビ名『爆笑問題』の由来は、結成当時、横文字のコンビ名が多く、目立つために日本語のコンビ名にし、『爆笑』と付けてハードルを上げ、覚悟を決めて付けたといいます。
渡辺正行さん主催のラ・ママ新人コント大会でデビュー。
そこでスカウトされて太田プロに所属しました。
爆笑問題 再ブレイク
爆笑問題は1988年7月12日放送のフジテレビの深夜番組『笑いの殿堂』でテレビデビュー。
以降はレギュラーを増やし、若手芸人のホープとなりました。
1990年秋に太田プロを退社し独立。
田中裕二さんは当時25歳でした。
独立した理由の1つに、
『自らがやりたい仕事をやりたかった』
を挙げています。
一方的な独立だったといい太田プロに怒りを買い、一時的に仕事がなくなりテレビからは姿を消しました。
当時、田中裕二さんはコンビニのアルバイトをして仕事が楽しくなり、仕事ぶりが評価され店長になりかけたといいます。
1993年に自ら芸能事務所『タイタン』を設立。
社長には元芸人で太田の妻の太田光代さんが就きました。
同年にNHK新人演芸大賞を受賞。
翌年の1994年に『GAHAHAキング 爆笑王決定戦』(テレビ朝日系)で10週勝ち抜き初代チャンピオンになり再ブレイクへの狼煙を上げました。
爆笑問題の名が知れ渡ったのはフジテレビ系の『タモリのSuperボキャブラ天国』。
1997年10月からの『黄金ボキャブラ天国』では初代名人になり、若手芸人が集まる番組で、爆笑問題は中心メンバーとして活躍し再ブレイクを果たしました。
田中裕二さんの離婚した前妻は?
田中裕二さんの最初の結婚は2000年3月。
35歳のときでした。
妻は9歳年下の元生花店勤務の一般女性。
前妻は爆笑問題の事務所『タイタン』が入っているビルの1階にある花屋の店員でした。
当時、田中裕二さんは32歳でした。
以降は冠番組を持つようになり、多数のレギュラー番組も持つようになりました。
結婚後は都内に二世帯住宅を建てて暮らしていました。
離婚したのは2009年10月。
結婚生活は9年でした。
離婚理由・原因について田中裕二さんは、
『2人で話し合いを続けてきた結果、離婚をすることが、お互いの将来にとって前向きで、最善の選択であることと考えました』
とコメントしました。
『爆笑問題の田中は2009年10月、9年間連れ添ったNさんと離婚した。翌年3月にはNさんが離婚前に別の男性との間に子供を妊娠していることが発覚。』
引用 https://www.daily.co.jp/
離婚時に前妻が臨月に入っていることも報じられていました。
妊娠していた子供は田中裕二さんの子供ではないことには合意していましたが、離婚成立後300日以内に出産することになるため民法の規定により田中裕二さんが戸籍上の父親になるとになるため、後に家庭裁判所で父子関係を解消する手続きをとっています。
田中裕二と山口もえの馴れ初めは?
田中裕二さんが山口もえさんと再婚したのは2015年10月。
田中裕二さんが50歳のときでした。
山口もえさんは12歳年下で、結婚したとき38歳でした。
山口もえさんも2011年に離婚していて、再婚です。
馴れ初めは2012年の安めぐみさんと『Take2』の東貴博さんとの結婚式。
この結婚式で田中裕二さんは山口もえさんと久々に再会し食事に誘ったそうです。
山口もえさんは前年に離婚しており、恋愛に消極的でしたが、田中裕二さんの猛アプローチで1年後に交際に発展。
交際期間2年半で結婚しました。
田中裕二の子供は何人?
田中裕二さんの子供は3人。
娘が2人と息子が1人です。
長女が2007年6月
長男が2011年3月
次女が2017年5月
に生まれいます。
長女と長男は山口もえさんの連れ後で、田中裕二さんが再婚したとき、長女は7歳、長男は4歳でした。
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