熊本県出身の宮崎美子さん。
経歴や高校、大学などの学歴は?
結婚歴があるようですが、離婚した元夫は?
子供はいる?
今回はさん女優の宮崎美子をリサーチしてみました。
宮崎美子の大学、高校などの学歴・経歴
名前 宮崎美子
生年月日 1958年12月11日
出身 熊本県熊本市
身長 156cm
所属 ホリプロ
小学校・豊中市立南桜塚小学校→大分市立春日町小学校
中学校・大分大学教育学部附属中学校
高校・大分上野丘高校 → 熊本高校
大学・熊本大学法学部
父親は銀行員、母親は専業主婦。
熊本県熊本市で生まれましたが、父親の転勤のために、転校が多く小学校は3回転校、大阪府豊中市、大阪市を経て、大分市に移住しました。
子供の頃から習い事をすることが好きでバレエやピアノを習っていました。
小学生時代はミュージカルやアナウンスなどに興味を持っていました。
中学校は大分大学教育福祉科学部附属中学校。
同中学は大分県ではトップクラスの難易度の州学校です。
中学時代は森田健作さん主演のドラマ『おれは男だ!』に影響され剣道部に入部。
初心者だったため、近所の道場にも通っていたそうです。
高校は大分上野丘高校に入学しましたが、2年生に進級するとき熊本に戻り、熊本高校に編入
しました。
大分上野丘高校は大分県大分市にある男女共学の県立高校。
偏差値は71で、大分県トップの進学校です。
熊本高校は熊本県熊本市にある男女共学の県立高校で、偏差値は75。
熊本高校も熊本県ではトップの進学校です。
熊本高校時代には演劇部に所属しましたが、演技が難しいと思い、舞台に立つことなく退部したそうです。
放送部には小学校、中学校、高校で通じて所属しており、声を出して本を読むことが好きだったそうです。
大学は地元熊本の熊本大学法学部に進学。
法学部の偏差値は65。
大学には自転車通学で、体操部と写真部に所属所属していました。
高校まで放送部に所属していたこともあり、地元の熊本放送のアナウンサーの試験を受けようと思っていたそうです。
就職はあくまでも地元で、東京に出るつもりはなかったと話しています。
宮崎美子 大学時代にモデルデビュー
宮崎美子さんは大学2年生の時に『週刊朝日』の表紙でモデルデビューしました。
きっかけは当時の交際していた医学部の学生の撮ってくれた写真。
その写真があったので、偶然朝日新聞で見つけた『篠山紀信が撮る!週刊朝日 キャンパスの春』の表紙モデルに応募.
プロのカメラマンに撮ってもらえたら記念になるし、就職活動に有利になるかもと思い軽い気持ちで自分で応募したそうです。
応募者は約1000名。
多くの応募者がスタジオで撮った写真でしたが、宮崎美子さんは化粧もしていない、自然なスナップ写真で、そのことが逆に審査員の目に留まり、最終合格者の10名に選ばれ、1980年12月に撮影し、1980年1月、『週刊朝日』の1980年1月25日号の表紙を飾りました。
宮崎美子 ミノルタのCMで芸能界入り
宮崎美子さんは『週刊朝日』撮影後、カメラマンの篠山紀信さんにグラビアモデルに誘われましたが、その時は断りました。
1980年2月に、再び篠山紀信さんから直接、ミノルタのCMへの出演を依頼され、この時はちょうど春休みだったことと、撮影場所がサイパンで
旅行気分で行けるという理由で依頼を受けました。
宮崎美子さんの出演したCMは大反響となり、CMで使われた曲は斉藤哲夫さんが歌い、CMだけのために3行の歌詞だけでしたが、歌詞を付けたし、『いまのキミはピカピカに光って』が発売され、オリコン最高9位を記録しました。
その後は雑誌やテレビに出演。
1980年4月には地元熊本放送の番組レポーターも務めました。
1980年5月、熊本放送の制作部長を通じてTBS系の『ポーラテレビ小説』の主演女優の依頼を受けますが、断り続けていたといいます。
6月になると、TBSのプロデューサーとディレクターが熊本の実家まで何度も来て出演を説得。
その熱意が宮崎美子さんに伝わり、出演を承諾。
1980年10月にTBS系の昼の帯ドラマ『元気です!』の主演で女優デビューしました。
ドラマのヒロインが宮崎美子さんと発表されると、TBSには200社の取材が殺到したそうで、スポーツ誌の中には『TBSが美子をさらった』と書くところもあったといいます。
主演女優でデビューしましたが、この頃はまだプロダクションに入って折おらず、学生のアルバイト感覚で、ドラマ撮影が終わったら熊本に帰るつもりだったそうです。
ドラマの撮影中も毎週熊本に帰り、大学の授業を受けていましたが、必須科目等の単位不足で4年で卒業できないことが決定。
1981年4月からはTBS系のドラマ『2年B組仙八先生』に出演。
このドラマの時プロダクションに入りました。
デビュードラマの撮影後、地元の熊本に帰るつもりだった宮崎美子さんでしたが、女優を続けたのは、ドラマのお母さん役だった河内桃子さんに、
『あまりにも演技ができなくて悔しいんです』
と相談したした際、
『だったら、もうちょっとお続けになってみれば』
と優しい言葉をかけられて『もうちょっとだけやってみようかな』と思ったと話しています。
ドラマ以外にも1981年10月からクイズ番組の『クイズダービー』にレギュラー出演し、その後も多くのクイズ番組に出演しています。
宮崎美子の結婚歴や元夫、子供は?
宮崎美子さんの結婚歴は1回。
結婚したのは1989年で、30歳の時でした。
夫はテレビ番組制作会社に勤務していた上川伸廣さん。
年齢は1歳年下。
2人の出会いは1981年に宮崎美子さんが出演したTBS系で放送されたドラマ『2年B組仙八先生』。
このドラマで上川伸廣さんはアシスタントディレターを務めていました。
その後、1985年に阪神ファンだった2人は優勝決定戦を観戦に行き、思いがけず再会し交際に発展。
1989年9月に結婚しました。
新居を神奈川県逗子市に構え、新婚生活を送っていましたが、1991年1月に離婚。
結婚生活は1年4か月でした。
離婚の理由について宮崎美子さんは女性誌のインタビューで、
『今回の結婚にしても、離婚にしても、彼は悪くないんですよ。私が勝手に結婚しよう、離婚しよう、いろんなことを言って、勝手に怒って、私が問題をまいてるだけで』
とコメントしています。
子供はいませんでした。
その後、宮崎美子さんは再婚していません。
元夫とは離婚後も関係は良好だといいます。
『宮崎の自宅周辺では、ふたりが並んで歩いている姿も目撃されていた。』
引用 https://www.news-postseven.com/
離婚後も元夫の担当する番組などに出演し、宮崎美子さんの趣味である鉱石集めの旅に一緒に行ったこともあったといいます。
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