浅丘ルリ子と元夫の石坂浩二の離婚理由や子供は?学歴や生い立ち、経歴

東京都出身の浅丘ルリ子さん。

学歴や経歴、生い立ちは?

石坂浩二さんとの結婚歴がありますが、離婚理由は?

子供はいる?

今回は女優の浅丘ルリ子さんをリサーチしてみました。

浅丘ルリ子の学歴・生い立ち・経歴

名前   浅丘ルリ子
生年月日 1940年7月2日
出身   満州国新京市
身長   156cm

 

浅丘ルリ子の学歴

小学校・千代田区の小学校

中学校・千代田区立今川中学校

高校・菊華高校(中退)

満州国新京市生まれ、東京都千代田区育ち。

本名は浅井信子(あさい のぶこ)

父親は満州国経済学部大臣秘書官。

4人姉妹の次女。

3歳の時に父親の転勤でタイのバンコクに移住。

家は2階建ての白い洋館で使用人が何人もいたそうです。

終戦後は家族で抑留所へ一時強制収容されますが、1946年引き揚げが開始、

1946年7月、6歳の時に日本に引き揚げました。

最初に乗った引き揚げ船では『要人が乗らないといけないから』と船を下ろされましたがその船は出航後に沈没。

浅丘ルリ子さん家族は命拾いしたといいます。

帰国後は茨城、千葉などに移り住んだ後、東京都千代田区神田に移り住みました。

帰国後、父親は代議士秘書や醸造会社の工場長の仕事をしましたが、ストレスと過労で体調を崩し千代田区神田に移り住むことになったそうです。

自宅はガード下の借家だったといいます。

小学校の名称は不明ですが、中学は千代田区立今川中学校に入学。

今川中学校は現在の千代田区立神田一橋中学校です。

中学時代に女優デビュー。

高校は菊華高校に進学。

菊華高校は現在の杉並学院高校。

東京都杉並区にある男女共学の私立高校で現在の偏差値は62。

男女共学になったのは学校名が変わった2000年からで浅岡ルリ子さんの時代は女子校でした。

女優業が忙しくなったため高校は中退しています。

浅丘ルリ子のデビューのきっかけ

浅丘ルリ子さんが女優デビューしたきっかけはオーディションでした。

1954年8月、中学2年生の時に映画『緑はるかに』のヒロインのルリコ役を一般募集しているの新聞で見つけ応募。

応募には両親も賛成してくれたといいます。

浅丘ルリ子さんは応募者約3000人の中からヒロインに合格。

浅丘ルリ子さんのデビュー映画『緑はるかに』は1955年5月8日から公開されました。

浅丘ルリ子 ルリ子カット~日活の看板女優

浅丘ルリ子さんはデビュー映画『緑はるかに』で瞳の大きな美少女として脚光を浴び、1955年には2本、翌年の1956年には5本、1957年にも5本の映画に出演。

浅丘ルリ子さんのヘアースタイルは『ルリ子カット』と呼ばれ若い女性に大流行しました。

日本映画全盛期の日活アクション映画のる代表的なヒロインとなり、日活の看板女優として活躍。

映画出演本数は150本以上。

1961年には国際親善をかねた『美しい東洋親善使節団』日本代表に選出。

1964年に『夕陽の丘』をリリースし歌手デビューもしています。

1960年代後半からはドラマにも多く出演。

1973年8月に公開された映画『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』にクラブ歌手のリリー役で出演し好評を博し、マドンナとしてシリーズ最多の4回出演しました。

浅丘ルリ子は姉御肌

浅丘ルリ子さんの性格は姉御肌で後輩の男優と女優に対する躾が厳しかったといいます。

撮影現場に大御所や先輩と呼ばれる立場の俳優が時間に遅れて入ってくることが当たり前の風潮をよく思わず、先輩・後輩問わず厳しい態度で接したそうです。

後輩の俳優・高橋英樹さんが1時間遅刻をした際には自身の楽屋に呼び『ヒデキ、分かっているわね?』と問いただすと、高橋英樹さんは『ルリ子さん、すみませんでした!』と謝罪。

徹子の部屋に2人で出演した際に高橋英樹さんは浅丘ルリ子について『世の中で一番怖い人ですから…』とコメントしています。

その態度は先輩にも変わらず、『座頭市』で9歳年上の勝新太郎さんと共演した際も2時間以上も遅刻してきた勝新太郎さんを演技中でも許さず、勝新太郎さんが謝罪したといいます。

浅丘ルリ子と元夫の石坂浩二の馴れ初め

浅丘ルリ子さんと石坂浩二さんが結婚を発表したのは1971年3月。

元夫の石坂浩二さんは1歳年下で当時、浅丘ルリ子さんは30歳、石坂浩二さんは29歳でした。

馴れ初めは夫婦役で共演したドラマ『2丁目3番地』。

同ドラマは 1971年1月から放送され、同年3月に2人でトーク番組『スター千一夜』に出演しています。

『スター千一夜』は人気番組でしたが浅丘ルリコさんと石坂浩二さんの出演は歴代3位の37.9%の高視聴率を記録しました。

浅丘ルリ子さんは石坂浩二さんに対して、

『細かいところまでよく気のつく人。きっと思いやりのある人だわ』

と感じていいたといいます。

浅丘ルリ子と元夫の石坂浩二の離婚理由や子供は?

浅丘ルリ子さんと元夫の石坂浩二さんが離婚したの2000年12月。

結婚生活は約30年、離婚時、浅丘ルリ子さんは60歳。

2人に子供はいませんでした。

離婚の理由・原因は石坂浩二さんの母親の介護だったといいます。

『離婚の理由を「母親の介護問題」としていた石坂。』

引用 https://www.daily.co.jp/

離婚からわすか5日後に石坂浩二さんは再婚。

再婚相手は主宰していた劇団に事務員として所属していた加藤真理さん。

当時37歳でした。

加藤真理さんは結婚の年前から石坂浩二さんの母親の面倒を見ていたそうです。

浅丘ルリコさんは再婚はしていませんが、2004年には20歳年下の大衆演劇の女形・松井誠さんとの熱愛が発覚。

松井誠さんが浅丘ルリ子さんに、

『一生、支えていきます』

と言うと浅丘ルリ子さんは、

『一生、おそばにいさせてもらいます』

と事実婚のような宣言をしましたが後に破局しています。

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