藤真利子の結婚や夫、子供は?介護や近藤真彦との関係。学歴や経歴

2時間ドラマはサスペンスドラマで活躍する女優の藤真利子さんの学歴や経歴は?
女優デビューしたきっかけは?
結婚歴や夫、子供は?
近藤真彦さんとの関係や介護とは?

今回は女優の藤真利子さんをリサーチしてみました。

藤真利子の学歴・経歴

名前   藤真利子
生年月日 1955年6月18日
出身   東京都杉並区阿佐ヶ谷
身長   160cm
血液型  A型
所属   プロダクション尾木

父親、母親の3人家族。兄弟はおらず一人っ子です。

父親は作家の直木賞作家の藤原審爾さん。
純文学、恋愛もの、サスペンス、ハードボイルドなど、幅広いジャンルの作品を発表し、「小説の名人」の異名をとった作家です。

幼少期は自宅にはお客が多くよく笑い声が聞こえている家庭でしたが、父親が女性をを作り、4歳の時に母親の静枝さん共に家を出て、以降は母親が小料理屋を経営しながら母子家庭で育ちました。

父親は女性と暮らす家に母親と藤さんをを連れて行き、現実を見せ付けた上で「帰れ」と突き放したことがあったといいます。

『知らない道のはずなのに母はものすごいスピードで一直線にわが家を目指し、時々「悔しい」とおえつを漏らして…。母がかわいそうでした。とても…』

そんな母親の姿を見た小学生だった藤さんは「母を守ろう一生」と誓ったそうです。

ただ、父親との交流はその後もあったようです。

小学校、中学校の頃は阿佐ヶ谷に住んでいました。

高校は不二聖心女子学院高校に進学。
静岡県裾野市桃園に私立の女子校で、カトリック系聖心会のミッションスクール。現在の偏差値は58。
高校時代は寮生活で、学校では演劇部に所属。寮は門限や消灯時間が厳しかったそうです。

高校卒業後は、聖心女子大学・文学部歴史社会学科に進学。
東京都渋谷区広尾四丁目に本部があるい私立大学。現在の偏差値は55。
大学時代には中学校と高校の教員免許を取得しています。

大学在学中のに女優の活動を始め、大学卒業後は芸能界に専念しました。

藤真利子が女優デビューしたきっかけ

幼少期には父親が人気作家だったことから、自宅に映画監督や有名な女優が訪ねて来る環境で、いつしか「女優になりたい」と思うようになっていたといいます。
中学時代に学校の隣に唐十郎さんのアングラ劇団「状況劇場」が借りていた家があり、奇抜な装いの俳優たちや小道具に興味を持ち、高校時代は演劇部に所属。

大学4年生の時に父親の知り合いのプロデューサーに誘われたことがきっかけで、猛反対した父親を押し切り女優の道に進み、19771年、22歳でTBSドラマ『文子とはつ』でデビューしました。

藤真利子のデビュー後

1977年に女優デビューし、翌年の1978年にフジテレビドラマ『飢餓海峡』で杉戸八重 役で出演し注目され、

第16回ゴールデンアロー賞・最優秀新人賞

をなど数々の新人賞を受賞。

1985年10月公開の映画『薄化粧』では

第9回日本アカデミー賞・優秀助演女優賞
第28回ブルーリボン賞・助演女優賞
第40回毎日映画コンクール・女優助演賞

を受賞しました。

ドラマではサスペンスドラマ、2時間ドラマで活躍し、火曜サスペンス劇場では最多犯人役で出演していたといいます。

藤真利子の結婚歴や夫、子供

藤真利子さんに結婚歴はなく独身で、夫、子供はいません。

結婚はしていませんが、長く交際している恋人がいることを明かしています。

『そんな藤を支えたのは長年の恋人の存在だった。』

当初、交際は母親に反対されましたが、母親の介護が始まると、彼はヘルパーの資格を取ってくれたといい、藤さんの留守の時には母親に付き添ってくれたといいます。

藤真利子と近藤真彦の関係

藤真利子さんが30歳の時に、当時22歳だった近藤真彦さんとの熱愛が騒がれました。
藤さんは元々、近藤真彦さんの大ファンで対談を熱望し、1986年5月に念願かなって女性誌で対談が実現。
藤さんは対談で「マッチのことは何でも知ってるんだから」とアピールしたといい、同年8月に近藤さんが参戦した筑波サーキットで行われたレース・ド・ニッポン筑波では応援する藤さんの姿が週刊誌にキャッチ。

近藤さんが座長を務めた公演では楽屋暖簾や花束を送り、お忍びで打ち上げにも参加。
11月には渋谷のバーで2人でビリヤードをする姿のキャッチされ、その親密度から交際が噂されるようになったそうです。

しかし、その後は関係が深まることはなかったとい、自然消滅したとされているようです。

藤真利子の介護

藤真利子さんの母親の静枝さんは、2005年6月に自宅のキッチンで脳梗塞で倒れ、81歳で寝たきりになって以来、2016年11月に92歳で亡くなるまで11年間仕事セーブして介護をしていました。

静枝さんが倒れた後、いくつかのリハビリ病院を転々とした後、会話が出来ないなど症状が重かったことから、受け入れ先に介護施設が少なく、近くに受け入れ可能な施設がなかったことから、自宅をバリアフリーにリフォームして在宅介護を決意。

地方ロケの時にはヘルパーさんの家に泊まってもらいましたが、以前のように仕事は出来なきくなったため、収入は激減したといいます。

交際相手に支えられ、彼の助けで鈴江さんを自身の出演舞台に呼べたこともあったといいます。

静枝さんは2016年11月7日朝9時すぎに、藤さんがキッチンでヘルパーと打ち合わせをしている間に息をひきとったそうです。

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