高橋洋子の結婚や夫、子供は?歌手デビューしたきっかけは?残酷な天使のデーゼが大ヒット。学歴・経歴

『エヴァンゲリオン』の主題歌『残酷な天使のデーゼ』を歌ったことで知られる歌手の高橋洋子さんが学歴や経歴は?
歌手デビューしたきっかけは?
残酷な天使のデーゼが大ヒットしたのは仕事がなかったことがきっかけのようです。
結婚歴や夫は?子供は娘?。

今回は歌手の高橋洋子さんをリサーチしてみました。

高橋洋子の学歴・生い立ち・経歴

名前   高橋洋子
生年月日 1966年8月28日
出身   東京都
身長   166cm
血液型  O型
所属   ポッシブル

父親、母親、兄、姉、弟の6人家族。父親は国鉄職員、姉はボイストレーナー、弟は作曲家のたかはしごうさんでアニメソングを中心に手掛けています。

両親は音楽好きで合唱団での恋愛結婚でした。

父親は指揮者を目指していたことがあり、高校時代には独学で音楽を学び音大にもが合格しましたが、実家が貧しい農家で兄弟も多くいたことから両親に反対されて泣く泣く諦めた諦めたことがあったことから、その夢を子供に託していたといいます。

高橋さんは父親に2歳からピアノを習い始めましたが、その教え方はスパルタ。練習中に叩かれることは日常茶飯事で、休みの日には12時間もの練習させられ友達と遊ぶ暇もなかったそうです。

小学生になるとピアノのコンテストに出場するようになりましたが、上手く弾けないと、

『お前は窓から金を捨てているようなものだ!』

と怒鳴られて、その場で正座をさせらたといい、その厳しさから小学校の作文の将来の夢には「1人暮らし」と書いたといいます。

小学2年生からは「滝野川少年少女合奏団」に入団し、10歳の時には10歳の時には手塚治虫さんの漫画作品のイメージアルバム『手塚治虫の世界のアニメ集』のレコーディングに参加しています。

中学校、高校は、洗足学園中学校・洗足学園高校を卒業。
神奈川県川崎市高津区久本にある私立の女子校で中学校の偏差値は67。
中校完全一貫制のため、高校の生徒募集はありませんが、多い時には20人以上の東京大学に合格者を出す進学校です。
現在はありませんが過去には音楽科が設置されていて、卒業生には歌手の水前寺清子さん、平原綾香さんなどがいます。

高校時代にはバンド活動を始めました。

1985年に高校卒業は、洗足学園音楽大学・音楽学部音楽学科に進学。
中学、高校の系列大学で、所在地も同じ。偏差値は44。
大学では声楽コースで、当初はオペラ歌手を目指していました。

『大学には行きましたが、途中で辞めて、バンドはやっていました。』

時期は不明ですが大学に中退し、退学した後は実家を出てバンド活動をしていました。

高橋洋子が歌手デビューしたきっかけ

高橋洋子さんは父親の夢を託されて、幼少期から厳しく音楽を教えられ辛い思いをしていました。
父親が怖くて反発することは出来ませんでしたが、音楽自体は大好きだったといい、高校時代にはバンド活動を開始。

大学時代は軽音楽サークルに所属し、1986年、大学1年生の時にはバンドでコンテストに出場し入賞。
このことがきっかけで。久保田利伸さんのコーラスのオーディションに誘われ合格し、1987年にバックコーラスグループ「LOVE MACHINE」のメンバーとしてツアーに参加しました。

その後は、松任谷由実さん、Winkのバックコーラスや、斉藤由貴さんや今井美樹さんのアルバムにコーラスとして参加。

1991年10月にファーストシングル『おかえり』を発売。
同曲はフジテレビドラマ『ママたちの受験戦争』の主題歌にもなrましたが、デビュー曲ではなく、『初のソロCD』と言われ、デビュー曲は1991年12月の枚目のシングル『P.S. I miss you』になっています。

エヴァンゲリオンの残酷な天使のテーゼが大ヒット

1992年6月3日に発売し、ドラマ『悪女』の挿入歌だった4枚目のシングル『もう一度逢いたくて』で、

第34回日本レコード大賞・新人賞

を受賞。

1995年の3月からは半年間、ロサンゼルスに音楽留学をして帰国すると、歌いたいとう気持ちは強くありましたが、仕事はなかったといいます。

そこで、作曲の大森俊之さんに相談すると、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のエンディングテーマ『Fly Me to the Moon』のカバー企画に参加が決まりました。
同時にレコード会社の提案でオープニングテーマ『残酷な天使のテーゼ』も歌うことも決定。

1995年10月25日に11枚目のシングルとして発売し、アニメの大ヒットから『残酷な天使のテーゼ』も大ヒット。累計売り上げは150万枚を超えました。
1997年2月に発売した映画『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』の主題歌『魂のルフラン』もオリコンチャート3位なっています。

2021年にはで第72回紅白歌合戦に特別枠で初出場し、『残酷な天使のテーゼ』を歌いました。

高橋洋子の結婚歴や夫

高橋惠子さんの結婚歴は1度で、離婚歴もあるようです。

結婚したのは1990年代の半ば頃。

『当時、夫がいたのですが、病気で働ける状態ではなかったので、私が大黒柱として家族を食べさせていなくてはいけない。定職に就く方法を探していた矢先、自治体の広報誌でヘルパー資格取得を半額助成してくれる制度を発見し、「これだ!」と思ったんです。』

2023年3月に「当時、夫がいた」と話していることから、離婚をしているようです。

結婚後、2000年には属事務所とレコード会社を辞めてフリーになり、同年から2005年までフリーとして音楽活動を続けながらケースワーカーとして介護の仕事にも就いていました。

この時期も以来があればテレビ出演、ライブ活動もしていましたが、高橋さんはこの期間を「芸能界を引退していた期間」としています。

高橋洋子の子供は娘

高橋洋子さんの子供は娘が1人のようです。

2017年の「20歳の娘がいる」と話したことから、1997年頃に誕生しているようです。

『厳しすぎた父の子育てが反面教師になっている点はありますね。』

子育てでは幼少期の経験から子供には、ひとりの人間として接することを心がけ、娘の気持ちと意見を聞くようにしてていたと話しています。

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