京都府出身のタレント・羽野晶紀さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
デビューのきっかけは?
夫の和泉元彌さんとの馴れ初めは?
子供は何人?
今回はタレントの羽野晶紀さんをリサーチしてみました。
羽野晶紀の学歴・生い立ち・経歴
名前 羽野晶紀
生年月日 1968年8月22日
出身 京都府宇治市
身長 162cm
血液型 B型
所属 東宝芸能
小学校・宇治市立南小倉小学校
中学校・宇治市立西小倉中学校
高校・・西宇治高校
大学・・大阪芸術大学芸術学部
実家は青果店を経営していて、両親は共働きでした。
兄弟は妹1人。
小学校は宇治市立南小倉小学校、中学校は宇治市立西小倉中学校を卒業。
両親が共働きだったため、小学生の時からカギっ子で、学校から帰ると毎日、お風呂洗い、夕飯の下ごしらえなどをしていたそうです。
高校は西宇治高校を卒業。
西宇治高校は、京都府宇治市小倉町にあった男女共学の府立高校。
2009年3月に城南高校と統合され閉校になり、現在は城南菱創高校になっています。
現在の偏差値は57~65。
高校時代1年生の時に友達とバンドを結成してボーカルを担当し、2年生の時からはダンスを始めました。
大学は大阪芸術大学芸術学部舞台芸術学科に進学。
大阪芸術大学は、大阪府南河内郡河南町に本部がある私立大学で、舞台芸術学科の偏差値は48。
大学時代は当時は大阪芸術大学の学生劇団だった『劇団☆新感線』に入団。
大学は卒業はぜずに、中退しています。
羽野晶紀のデビューのきっかけは?
『私にとって“忘れられない’80年代”といえば、高校時代に映画館で見た「フラッシュダンス」(’83年)。あの作品に出合わなかったら芸能界に飛び込む勇気は持てなかったし、いまの自分はなかったって思うんです』
引用 https://jisin.jp/
羽野晶紀さんは小学生の頃からテレビが大好きで、よくバラエティやドラマを見ていて、特に刑事ドラマの『Gメン’75』は世界観がカッコよくて大好きで、芸能界への憧れを抱くきっかけになったそうです。
中学時代には松田聖子さんや小泉今日子さんなどアイドルが全盛で、芸能界への憧れはますます強くなっていったといいます。
高校の受験の時の面談で先生に『宝塚音楽学校を受けたい』と伝えましたがとっくに願書を締め切られていたそうです。
がっかりし芸能界を諦めかけていた頃に見たのが映画『フラッシュダンス』でした。
映画の主人公と自分自身を重ね合わせ、勇気がもらえたそうです。
高校時代に関西ローカル番組『9年9組つるべ学級』に出演し芸能界デビューしました。
羽野晶紀 デビュー後
大学入学後は『劇団☆新感線』に入団し、女優として活動。
大学在学中には、朝日放送の関西ローカルテレビ番組『ナイトinナイト』の火曜枠で放送されていたクイズ番組『おっちゃんVSギャル』に女子大生レギュラー回答者として出演し、特異な明るいキャラクターで司会者の桂三枝(現・六代目桂文枝)さんのイジラレキャラクター『八百屋の娘』として人気を集め、関西を中心にテレビ番組に出演。
1989年から1年間放送された読売テレビの深夜のコント番組『現代用語の基礎体力』で、毎週、生瀬勝久(当時は槍魔栗三助)扮する怪人にさらわれるお嬢様役がウケて、ブレイクし関西ではアイドル的な存在になりました。
1992年2月から『笑っていいとも!』に月曜レギュラーとして出演したことを機に全国進出しました。
羽野晶紀と夫の和泉元彌の馴れ初めは?
羽野晶紀さんと和泉元彌さんが結婚したのは2002年1月、33歳の時でした。
夫の和泉元彌さんは、1974年6月4日生まれで6歳年下。
和泉元彌さんは、狂言師で俳優。
父は和泉流十九世宗家和泉元秀さん。
青山学院大学文学部日本文学科を卒業。
1歳半の時から、父おやの和泉元秀さんの元で狂言を学び、1977年、3歳の時に『靫猿』で初舞台を踏みました。
羽野晶紀さんと和泉元彌さんの馴れ初めは、舞台での共演。
1998年1月からの舞台『ロミオとジュリエット』で和泉元彌さんはロミオ、羽野晶紀さんはジュリエットを演じたことで出会い、交際に発展しました。
しかし、和泉元彌さんの母親の節子さんは『芸能人との結婚は良くない』と結婚に反対。
それでも交際を続け、羽野晶紀さんが妊娠をしたことを機に結婚しました。
羽野晶紀さんは結婚後は、当時、所属していた芸能事務所を辞め、一時芸能活動を休止していましたが、2007年に東宝芸能への所属が決まり、芸能活動を再開しました。
羽野晶紀の子供は何人?
羽野晶紀さんの子供は娘と息子の2人。
長女の采明(あやめ)さんが2002年4月
長男の元聖(もときよ)さんが2004年7月
に誕生しました。
長女の和泉采明さんは2006年2月26日に女性狂言師として国立能楽堂で初舞台を踏み、長男の和泉元聖さんも狂言師として活動しています。
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