新山千春と元夫の離婚原因は?子供は娘?高校などの学歴や経歴

青森県出身タレントの新山千春さん。

高校などの学歴や経歴は?

元旦那は元プロ野球選手の黒田哲史さんですが、慣馴れ初めや離婚理由・原因は?

子供は娘?

今回はタレントの新山千春さんについてリサーチしてみました。

新山千春の高校などの学歴・経歴

名前   新山千春
生年月日 1981年1月14日
出身   青森県青森市
身長   168cm
所属   ホリプロ

小学校・ 青森市立荒川小学校

中学校・青森市立高田中学校

高校・堀越学園高校トレートコース

大学・進学していません

父親、母親、2歳年上の兄の4人家族。

荒川小学校は新山千春さんが通っていた頃は野沢小学校でした。

小学生のときはアイドルデュオ『Wink』に夢中で、相田翔子さんのパートをよくマネしていました。

高田中学校時代はソフトボール部に所属。

練習は素振り1000回、ノック100本などとても厳しかったといいます。

中学在学中の1995年に、第20回ホリプロタレントスカウトキャラバンに応募し、審査員特別賞を受賞。

中学卒業と同時に上京。

高校は堀越学園高校トレートコースに進学しました。

同級生には岡田准一さん、野波麻帆さんなどがいました。

新山千春がスカウトキャラバンに応募したきっかけ

新山千春さんがスカウトキャラバンに応募したの1995年の中学3年生のとき。

もともと、WINKや工藤静香さんが大好きで、芸能界に憧れはあったそうです。

応募したきっかけは、当時大ファンだった俳優の武田真治さんの相手役募集というオーディションのポスターを見たこと。

『恋人役というよりも恋人になりたいって思って応募したのがきっかけです(笑)』

引用 http://www.fukupon.com/

新山千春さんは予選から最終の東京大会には進みました。

東京での面接審査には武田真治さん本人も登場し、『(武田真治さんに)最後に一個質問をしていいですよ』と言われたとき、他の応募者は演技についてや、これからやりたい役など芸能界についての質問をしました。

しかし、新山千春さんは名前を呼んで欲しかったそうで、

『千春ちゃんって、目を見て呼んでください!』

とお願いしたそうです。

武田真治さんは名前を呼んでくれ、新山千春さんは嬉しくて大号泣したそうです。

それが良かったのか、審査員特別賞を受賞しホリプロに入りました。

ホリプロでは女子寮に入居。

当時、ダイエットを命じられていたそうですが、こっそりパンを食べていたといいます。

1996年2月公開の映画『お日柄もよくご愁傷さま』で女優デビュー。

演技経験なしでの映画出演で、15歳でしたが18歳で駆け落ちする役で、現場では監督に怒られた苦労したといいます。

映画のエンドロールで自分の名前が出たときは涙が溢れだしたそうです。

同年7月、フジテレビ系ドラマ『もう我慢できない!』しました。

新山千春 バラエティで活躍

1997年4月から日本テレビ系のヒューマンバラエティ番組『嗚呼!バラ色の珍生!!』の3代目アシスタントを担当。

同年10月からTBS系の『ジャングルTV ~タモリの法則~』のレギュラー出演。

2000年10月からはテレビ朝日系のクイズ番組『タイムショック』のMCに中山秀行さんとともに就任ました。

他にものTBS系の『噂の!東京マガジン』などにもレギュラー出演していました。

新山千春の元夫は黒田哲史

新山千春さんが結婚したのは2004年12月。

26歳のときでした。

夫は当時プロ野球選手だった黒田哲史さん。

黒田哲史さんは1975年1月11日生まれで、6歳年上。

結婚したときは読売ジャイアンツの選手でした。

黒田哲史さんは神戸村野工業高校卒業後、1993年にドラフト4位で西武ライオンズに入団。

堅実な守備には定評があり、三塁手をはじめ内野は全て守ることができる選手で西部時代は守備要員でした。

2002年にトレードで読売ジャイアンツへ移籍し、守備固めや代走の切り札として活躍。

2006年から古巣・西武への移籍しましたが、2007年に戦力外通告を受け引退しました。

最高推定年俸は2005年、2006年の1800万円。

新山千春さんと結婚した2004年の推定年俸は1400万円でした。

引退の翌年の2008年12月からは西武ライオンズの一軍打撃コーチ補佐に就任しました。

新山千春と元夫の馴れ初めは?

新山千春さんと元夫の馴れ初め・出会いは2003年秋のパーティー。

出会いについては、新山千春さんがテレビで、出会いは人が多く集まるパーティーだったと発言したようです。

新山千春さんは結婚発表後、

『松田聖子さんの“ビビビッ”ていうのはこんな感じなのかと思った。彼と一緒になりたいと心の中で決めていた』

引用  http://www.sponichi.co.jp/

と話しています。

交際がスタートしたのは2004年6月。

プロポーズは同年の9月で黒田哲史さんが遠征先の宿舎から、

『ぼくと結婚してください』

とテレビ電話をプロポーズされ、新山千春さんは涙ぐみながら、

『私で良かったら』

と答えたそうです。

交際期間は4ヶ月のスピード婚でした。

新山千春と元夫の離婚原因・理由は?

新山千春さんが元夫の黒田哲史さんと離婚したのは2014年12月。

結婚生活はちょうど10年目でした。

離婚理由にいて2015年1月に新山千春さんが日本テレビ系『解決!ナイナイアンサー』に出演した際、

『夫婦で共有する時間がなかった』

と話しました。

元夫の黒田哲史さんが引退した後、新山千春さんは子供を育てるために仕事を再開。

仕事を再開したことで、夫婦に『すれ違い』が生じていったことを明かしました。

離婚を切り出したのは新山千春さんで、

『お互い別の道があるよね』

というと、元夫の黒田哲史さんも、

『おれもそう思う』

と言ったと話しています。

離婚したとき、黒田哲史さんは西武ライオンズの二軍守備走塁コーチでした。

新山千春の子供は娘

新山千春さんの子供は娘が1人。

2006年7月に生まれました。

名前は『もあ』さん。

名前の由来は英語の『more』

『もっと愛してもらえますようにと』

との思いをこめて名付けたそうです。

離婚時、娘は8歳で親権は新山千春さんが持ちました。

娘のもあさんは一時期、新山小春の名前で子役をとして活動していました。

現在は新山もあとしてタレント活動をしています。

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