石原裕次郎の結婚した妻との馴れ初めは?子供はいる?高校、大学などの学歴や経歴・生い立ち

映画スターで、ドラマ『太陽にほえろ!』のボス役でも有名な俳優の石原裕次郎さん

生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?

俳優になったきっかけは?

結婚した妻との馴れ初めは?

子供はいる?

今回は俳優の石原裕次郎さんをリサーチしてみました。

石原裕次郎の学歴・生い立ち・経歴

名前   石原裕次郎
生年月日 1934年12月28日
没年月日 1987年7月17日(52歳没)
出身   兵庫県神戸市須磨区
身長   178cm
血液型  A型

 

石原裕次郎の学歴

小学校・逗子市立逗子小学校

中学校・逗子市立逗子中学校

高校・・慶應義塾高校

大学・・慶應義塾大学

父親、母親、兄の4人家族、父親は山下汽船の重役、兄は政治家の石原慎太郎さん。

兵庫県神戸市須磨区で誕生し、父親の転勤で5歳の時に北海道小樽市に引っ越し、小学校は小樽の稲穂国民学校(現・小樽市立稲穂小学校)に入学。

小樽ではスキーを経験、小学6年生の時に父親が重役に就任し、神奈川県逗子市に転居し逗子市立逗子小学校に転校しました。

逗子市立逗子中学校ではバスケットボール部に入部、夢中になって練習しました。

高校受験では慶應義塾高校の受験に失敗し、慶應義塾農業高校(現・慶應義塾志木高等学校)に進学。

埼玉県志木市本町にある男子校で、現在の偏差値は75。

しかし、1951年、2年生の時に慶應義塾高校に編入しています。

高校時代もバスケットボール部に入部し、オリンピック出場を目指しましたが、膝を怪我したことで断念。

大学は内部進学で慶応大学に進学。

大学在学中に俳優デビューし、大学は中退しました。

石原裕次郎が俳優になったきっかけは?

大学在学中に俳優を目指して、東宝、大映、日活のオーディションを受けましたが全て不合格。

その後、小説『太陽の季節』で芥川賞を受賞した兄の石原慎太郎さん、同作の映画化が決まって際に石原裕次郎さんを推薦したことで、1956年5月に映画『太陽の季節』で端役のサッカー選手役で映画デビュー。

同年6月公開の石原慎太郎さん原作の映画『処刑の部屋』に石原慎太郎さんの強い推薦で主演し、大映に入社の話しもありましたが、この時は本気で俳優になる決意はできおらず、石原慎太郎さんが大映に断りを入れています。

しかし、その後、同年7月公開の石原慎太郎さん原作・脚本の日活映画『狂った果実』には主演し、同時に歌手デビューも果たしまし、日活に入社しました。

嵐を呼ぶ男が大ヒット

1956年に『狂った果実』で映画初主演後、同年に出演した『乳母車』の演技で評価を受け、翌年の1957年の映画『嵐を呼ぶ男』、『俺は待ってるぜ』が大ヒットし、同年に、

第8回ブルーリボン賞・新人賞

を受賞。

1963年に石原プロモーションを設立し、同年に『太平洋ひとりぼっち』を製作し主演を務め、

第14回ブルーリボン賞・企画賞

を受賞しました。

1968年に三船敏郎さんと共に製作した映画『黒部の太陽』は興行収入20億円を超える大ヒットとなりました。

テレビは過小評価しており、テレビドラマへの出演は拒否していましたが、周囲の説得により13話の約束で、1972年に『太陽にほえろ!』に出演。

その反響は大きく、高視聴率を獲得したことから、出演者や妻の説得で出演を継続し、途中病気などもあり出演しない時期はあったものの1986年、718話まで出演し、名称であるボスとして世間に認識されました。

1979年から『西武警察』にも出演しました。

1978年、舌下潰瘍のため入院し手術すると舌癌と診断されましたが、本人には告知されませんでした。

1979年には舌下白板症と診断され、術後部に潰瘍が出来たため再手術。

1981年4月には西部警察』のロケ撮影中に背中と胸に激痛が走り、解離性大動脈瘤と診断され生存率3%と言われた手術成功。

1984年、肝臓癌が発覚しましたが、最後まで告知されないまま、1987年4月20日に52歳で死去しました。

石原裕次郎と妻の馴れ初めは?

石原裕次郎さんの妻は元女優の石原まき子さん。

石原まき子さんは1933年7月23日生まれで、1歳年上。

東京都目黒区出身、中学卒業後にNDT(日劇ダンシングチーム)に5期生として入団。

1952年、19歳で退団後、松竹のニューフェイスに合格して入社し、同年に映画『カルメン純情す』で女優デビュー。

当時の芸名は北原三枝でした。

1954年に日活に引き抜かれ移籍し、女優のエースとして活躍。

石原裕次郎さんと石原まき子さんの馴れ初めは、1956年の日活映画『狂った果実』での共演でした。

映画はヒットし、その後は日活のドル箱コンビとして23作もの共演作が制作されました。

石原裕次郎さんは高校生の時に映画『君の名は 第二部』で石原まき子さんを見て依頼、大ファンで、石原まき子さんに会わせてほしいとプロデューサーに頼んでいたほどだといい、石原まき子さんも出会ったすぐに石原裕次郎さんに惹かれたといいます。

トップスター同時の恋愛だたため、密かに交際していましたが閉塞感があり、1960年1月に駆け落ち同然のアメリカ婚前旅行を決行。

同年4月に結婚を発表。

石原裕次郎さんが25歳、石原まき子さんが26歳の時でした。

石原裕次郎に子供はいる?

石原裕次郎さんと石原まき子さんに、子供はいませんでした。

実子はいませんが、石原裕次郎さんの死後に、石原まき子さんが自身の甥を養子にしています。

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