静岡県出身の俳優・里見浩太朗さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
俳優になったきっかけは?
結婚歴や妻は?
子供は何人?
今回は俳優の里見浩太朗さんについてリサーチしてみました。
目次
里見浩太朗の学歴・生い立ち・経歴
名前 里見浩太朗
生年月日 1936年11月28日
出身 静岡県
身長 173cm
血液型 A型
所属 里見プロモーション
高校・・富士宮北高校
大学・・大学には進学していません
東京都生まれ、静岡県育ち。
本名は佐野 邦俊(さの くにとし)。
父親は志願兵の憲兵で、1937年、里見浩太朗さんが8ヶ月の時に中国で戦死。
その後は、母親の実家の静岡県富士宮市で育ちました。
兄弟は兄。
父親の恩給だけでは苦しく、母親は縫い物の内職をして生活。
恩給が打ち切られた後は、古着の行商などで兄と里見浩太朗さんを育てました。
高校は富士宮北高校商業科に進学。
富士宮北高校は静岡県富士宮市宮北町にある男女共学の県立高校。
現在の偏差値は48~52。
中学時代はテニス部、高校時代は音楽部に所属。
高校卒業後は、築地の魚市場で仲卸を営んでいた叔父の会社に就職しました。
里見浩太朗が俳優になったきっかけは?
里見浩太朗さんのが芸能界入りしたのは『NHKのど自慢』がきっかけでした。
高校の卒業間近に『NHKのど自慢』に出場する機会があり、予選に合格。
『この合格が芸能生活への原点である』
この合格がきっかけで、里見浩太朗さんは歌手を目指すようになり、高校卒業後は、叔父の築地市場の仲買卸で働きながら歌手を目指し、歌のレッスンに通いました。
レコードデビューが内定しましが、知人の娘が内緒で応募した『東映第三期ニューフェイス試験』を受け合格。
合格には驚きましたが、何事も経験が必要だと1956年に東映へ入社。
当時20歳でした・
里見浩太朗 俳優デビュー後
1956年、第3期東映ニューフェイスに合格。
合格後、歌舞伎界出身の俳優らと接し
『僕はいわば雑草。人一倍努力するしかない』
と思ったといいます。
1957年、映画『天狗街道』で俳優デビュー。
デビュー当時は通行人などの端役ばかりでしたが、翌年の1958年公開の時代劇映画『金獅子紋ゆくところ』で映画初主演。
同映画の主題歌の『金獅子紋道中唄』で念願だった歌手デビューも果たしています。
以降は時代劇で活躍しました。
里見浩太朗 時代劇ドラマ
当時の東映京都所長・岡田茂さんが代劇映画をテレビに移し、映画は任侠映画を中心に変更。
『時代劇に固執するものは一人もいらないんだ』
とも発言したため、1965年に里見浩太朗さんは時代劇映画を守ろうと萬屋錦之介さんや東千代之介さんらと共に東映の俳優組合・東映俳優クラブ組合を結成。
しかし、組合活動は上手くいかず、任侠路線も合わなかったため、テレビ時代劇に活動の場を移しました。
1967年の東映・関西テレビ製作の『仮面の忍者 赤影』を始め、数々のテレビ時代劇に出演。
1970年以降は、刑事ドラマやアクションドラマにも出演しました。
1971年5月からは『水戸黄門』で杉良太郎さんに代わり、2代目佐々木助三郎/助さんに就任。
1988年2月まで16年半、助さんを演じました。
他にも『長七郎天下ご免!』、『長七郎江戸日記』、『松平右近事件帳』など多くのテレビ時代劇作品で主演を務め、時代劇俳優の地位を確立。
2002年10月には、病気降板した石坂浩二さんに変わり、5代目水戸光圀役として14年ぶりに『水戸黄門』に復帰。
2011年12月の第43部『最終回スペシャル』まで出演しました。
里見浩太朗の結婚歴や妻は?
里見浩太朗さんの結婚歴は2回。
最初の結婚や1966年3月。
30歳の頃の結婚でした。
妻は医者の娘。
ミス横浜にも選ばれたことがある女性だといいます。
離婚したのは1974年。
テレビ出演が増えたことでの、多忙によるすれ違いが離婚の理由だといわれています。
結婚生活は8年でした。
里見浩太朗の再婚した妻は?
里見浩太朗さんが再婚したのは1976年10月。
39歳の時でした。
妻はパンアメリカン航空に勤務していた女性。
妻の父親はベルリンオリンピックのレシリング日本代表だった風間栄一さんです。
里見浩太朗の子供は何人?
里見浩太朗さんの子供は1人。
子供は息子です。
最初の妻のとの子供で、名前は圭亮さん。
1967年10月に誕生しました。
佐野圭亮の名前俳優をしています。
高校時代に俳優を志しましたが、里見浩太朗さんは猛反対。
その意思は固く、桐朋学園短期大学演劇科に入学し、難関を突破し俳優座の研究生となりました。
1990年1月、新春時代劇スペシャル『樅の木は残った』(日本テレビ系)で里見浩太朗さんと共演して俳優デビューしました。
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