岩下志麻の夫は?子供は娘で何人?高校、大学などの学歴や経歴

東京都出身の女優・岩下志麻さん。

高校、大学などの学歴や経歴は?

結婚しているようですが夫は?

子供は娘で何人?

今回は女優の岩下志麻さんをリサーチしてみました。

岩下志麻の高校、大学などの学歴・経歴

名前   岩下志麻
生年月日 1941年1月3日
出身   東京都中央区
身長   165cm
所属   グランパパプロダクション

小学校・武蔵野市立第三小学校

中学校・武蔵野市立第三中学校

高校・東京都立武蔵高校、明星学園高校

大学・成城大学文芸学部(中退)

東京・銀座生まれの吉祥寺育ち。

両親は俳優。

父親は戦前から新協劇団の俳優として活躍した野々村潔さん。

母親も元新劇女優の山岸美代子さん。

伯父は歌舞伎役者の代目河原崎長十郎さん。

岩下志麻さんも子供の頃から日本舞踊を習っていました。

3歳のときにはしかと肺炎を併発し、死の淵をさまよい、そのせいもあり両親にに溺愛されて育ったといいます。

父親は岩下志麻さんをピアニストにしたかったそうで、家にはドイツ製のワイン色のピアノがあったそうです。

中学、高校時代は精神科医を目指していました。

きっかけは近所に精神的な病を抱える人がいて、からかわれていたのを見て、なんとか助けたい、力になりたいと思ったのがきっかけだと言います。

高校は武蔵高校に進学。

武蔵高校は東京都武蔵野市にある男女共学に都立高校。

偏差値は68

猛勉強で受験を突破し入学し、高校でも学年1番の成績だったそうです。

しかし、高校2年生にときに原因不明の熱がでて学校は休学。

後に『小児リウマチ熱』とわかり治療しましたが、そのせいで高校は1年留年。

健康を害したことで精神科医にを目指すとを断念したそうです。

17歳のとき、父の知り合いに誘われ、HNKのドラマ『バス通り裏』に十朱幸代さんの友人役として出演。

その後、明星学園高校に転校。

明星学園高校は東京都三鷹市にある男女共学に私立高校。

偏差値は59

高校卒業後は成城大学文芸学部に進学しますが、中退しています。

岩下志麻 女優デビュー

岩下志麻さんが女優デビューしたの高校生の17歳のとき。

高校2年生のとき、『小児リウマチ熱』にかかり高校を留年。

高校でトップの成績だった岩下志麻さんは、それが理由で、

『いままでやっていたことは何だったんだろう』

と目標を見失ってしまったそうです。

何をしていいかもわからないでいたある日、父親の知り合いのプロデューサーに、ドラマ『バス通り裏』に誘われて出演しました。

出演を引き受けたのは気分転換のつもりで、当時は女優になるつもりは全くなかったといいます。

しかし、多くの人の目に留まり、1960年に成城大学文芸学部に入学と同時に、映画監督の木下恵介さん勧めで映画製作会社の松竹に入社。

同年、映画『乾いた湖』で映画デビューしました。

岩下志麻 極道の妻たち

岩下志麻さんは松竹に1960年から1976年まで16年間に渡り在籍しました。

1961年5月公開の映画『わが恋の旅路』で、

第12回ブルーリボン賞新人賞

を受賞。

1964年11月公開の主演映画『五瓣の椿』で、

第15回ブルーリボン賞主演女優賞

を受賞しました。

松竹を離れた翌年の1977年11月公開の主演映画『はなれ瞽女おりん』では

第2回報知映画賞主演女優賞

第20回ブルーリボン賞主演女優賞

日本アカデミー賞最優秀主演女優賞

を受賞しました。

1986年11月に映画『極道の妻たち』に出演。

岩下志麻さんは当時45歳でした。

映画『極道の妻たち』シリーズは10作品制作され、岩下志麻さんは8作品に出演しました。

岩下志麻さんはこの映画の影響で『本物』の人たちに何度も挨拶されたといいます。

病院に知り合いにお見舞いにいったところ、偶然居合わせた本物方たちに先敬礼され、びっくりしながらもその前を悠然と歩いたそうです。

新幹線では着物を着た女性に『姐さん』と言われ立って挨拶されたこともあったといいます。

岩下志麻の夫

岩下志麻さんが結婚したのは1967年3月。

26歳のときでいした。

夫は10歳年上の映画監督の篠田正浩さん。

篠田正浩さんは早稲田大学出身。

大学時代は陸上選手で、1年生で1950年の箱根駅伝に出場し、『花の2区』を走りました。

翌年の1951年に足の故障で陸上選手を断念しています。

大学卒業後は松竹に入社。

1966年にフリーになり、翌1967年に独立プロダクションの表現社を設立しました。

1990年8月公開の映画『少年時代』で、

第14回日本アカデミー賞の作品賞・監督賞

を受賞しました。

2003年、大作『スパイ・ゾルゲ』を最後に映画監督からの引退を発表しました。

岩下志麻と夫の馴れ初め

岩下志麻さんと夫の篠田正浩さんの出会いは1960年の岩下志麻さんの映画デビュー作『乾いた湖』。

映画『乾いた湖』の監督が篠田正浩さんでした。

出会った当時、岩下志麻さんは19歳、篠田正浩さんは29歳でした。

岩下志麻さんいわく、篠田正浩さんでョッキングピンクのショートパンツに金のペンダントだったといい、

『こんなに若い監督さんもいるんだ!』

とびっくりたと話しています。

関係が発展したのは1964年の映画『暗殺』の撮影中でだったといいます。

京都の撮影所での撮影で、夜に時間が空き、初めて2人食事をしたそうです。

それまでは2人でお茶も飲んだことはなかったといいます。

初デートでは2人でお酒2升も飲んだしそうですが緊張から全然酔わなかったそうです。

そのとき恋愛感情ではなく尊敬だったといいます。

撮影終了後に、赤坂のナイトクラブで篠田正浩さんとマンボを踊っていたとき突然、

『この人と結婚するんだ』

と直感し、踊りながら、

『どうも私、監督さんと結婚するような気がします』

と言ったそうです。

篠田正浩さんは驚き、席に戻ってしまったそうです。

篠田正浩さんは岩下志麻さんの言葉に、

『ひどい清純派もいるもんだ。こうやって男を口説いているのか』

と思っていたそうです。

約2年の同棲を経て結婚しました。

岩下志麻は家事をしない

当時は結婚したら即引退の時代だったといいますが、結婚したときに篠田正浩さんは岩下志麻さんに、

『結婚しても、女優はやめないでほしい。むしろ結婚生活を栄養分にして、女優としてもっと豊かになってほしいんだ。女優として家庭は休息の場にして、家事もいっさい放棄していいよ』

引用 https://jisin.jp/

と言ったそうです。

岩下志麻さんは役に入り込むタイプのなので、この言葉はありがたかったと話しています。

その後、家事をしないと世間に知られた際には『主婦の風上にも置けない』とかなりのバッシングを受けたそうですが、このときも夫のに篠田正浩さんがバックアップをしてくれたそうです。

料理はお手伝いさんの手を借りていますが、献立は毎晩、魚、肉、野菜と栄養のバランスを考えて岩下志麻さんが考えたそうです。

岩下志麻の子供は娘で何人?

岩下志麻さんの子供は1人。

子供は娘です。

1973年6月に誕生しました。。

岩下志麻さんが32歳のときに産まれた子供です。

娘は芸能界を一度も視野に入れたことがなかったそうで、芸能界には入りませんでした。

大学卒業後、『両親とは違う世界で生きたい』と一般企業に就職。

岩下志麻さんと同じ26歳のときに結婚したそうです。

2020年10月インタビューでは、

『男の子2人の孫たちは、もう中学生と高校生。ええ、いまも私は“志麻ちゃん”と呼ばれています(笑)』

引用 https://jisin.jp/

と孫についてコメントしています。

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