金子恵美の結婚歴や夫との馴れ初めは?子供は何人?議員になったきっかけや学歴や経歴

市会議員、県会議員、衆議院議員を務めた金子恵美さんの学歴や経歴は?
政治家、議員になったきっかけは?
夫の宮崎謙介さんとの結婚の馴れ初めは?子供は何人?

今回は元衆議院議員の金子恵美さんをリサーチしてみました。

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金子恵美の学歴・経歴

名前   金子恵美
生年月日 1978年2月27日
出身    新潟県西蒲原郡月潟村(現・新潟市南区)
身長   167cm
血液型  O型
所属   レプロエンタテインメント

父親、母親、2人の姉の5人家族。父親は証券マンとして勤務した後、36歳から旧月潟村の村長を6期、23年務めた金子由征さん。

長姉は真面目でしっかりもの、次姉は個性的で頭の良かったといい、子供頃は優秀な2人の姉にコンプレックスを持っていたといいます。

月潟村には美空ひばりさんの曲『越後獅子の唄』のモデルにもなあった、180年以上続く芸能『角兵衛獅子(かくべえじし)』があり子供もよる舞のため、金子さんも姉と共に3歳から舞台に立っていました。

小学校は月潟村立月潟小学校、中学校は月潟村立月潟中学校を卒業。現在は「新潟市立」です。

小学生の時はミニバスケットをやりキャプテンも務めましたが、小学6年生の時で身長は140cmと小さめだったこともあり、キャプテンに選ばれたのは自分が村長の娘だからじゃないかと思い、自分に自身が持てなかったそうです。

その後、県の大会で最優秀選手に選出され、校長先生が、

『村長さんの子だからじゃなく、本当の意味で実力を評価されて良かったね』

と言ってくれたことで、とても救われたそうです。

高校は三条高校に進学。
新潟県三条市月岡にある男女共学の県立高校で、偏差値は63。
高校までは遠く、高速バスなどを利用して通っていたそうです。

高校卒業後は、早稲田大学 第一文学部文学科に進学。
大学時代には母親の「外に出てもっと広い世界を」の言葉から、アメリカ、イギリスでのホームステイや、バックパッカーとして海外を巡りました。

2003年3月に大学卒業後は、テレビ局の新潟放送に入社しました。

金子恵美が議員になったきっかけ

金子恵美さんが政治に興味を持ったのは村長だった父親の影響ででした。

『父が村長だったときに、村の保育園、小学校、中学校、図書館を1か所に集めて作ったら、周りに新興住宅地ができて、地方の小さな村にもかかわらず若い世代が集まり、ゼロ歳児が増えたんです。』

政治や行政の手腕で、一つの街が変わるのを目の当たりにし、「こんなに面白くてやりがいのある仕事はないな」と感じたそうです。

その後、大学時代にネパールに農業支援に行った時に、首都のカトマンズで、大人が子供を使って物乞いをさせていたりするのを見て衝撃を受け、ネパールではそうせざる得ない事情があることは理解しながらも、「教育を受ける機会があれば」と思ったといいます。

海外を見たことから日本の良さを再確認し、日本が子供や孫の世代以降もずっと平和であってほしいと思い、政治家になろうと思ったそうです。

父親が元証券マンだったことから、社会を見てから選挙に出たいと思い、大学卒業後は新潟放送に就職しました。

市会議員から衆議院議員

新潟放送に就職後に、顎関節症になってしまいめまいや頭痛で立っていられないこともあり、新潟放送は退職。
顎関節症は、顎の骨を切って噛み合わせを直す手術をしたそうです。

退職後はフリーライターとして活動。

2002年に「新潟県きものの女王」に選出。

『通ったから審査に行ってね』

母親が勝手に応募ましたが、審査の日には北海道旅行に行っていて母親はいなかったそうです。

「新潟県きものの女王」に選ばれことがきっかけで「ミス日本」に出場し関東代表に選出。
ミス日本関東代表に選ばれたことで、韓国での仕事のオファーがあり、韓国では午前中は韓梨花女子大学校に留学、午後は現地で仕事をしてました。

帰国後、2007年に新潟市議会議員選挙に立候補するとトップ当選。29歳の時でした。

新潟市議を1期目の2010年に任期途中で辞職。
同年に新潟県議会議員補欠選挙に立候補し、無投票で当選。2011年には無投票で再選しましrた。

2012年に新潟県議を辞職し、46回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で新潟4区から出馬。
民主党前職の菊田真紀子候補に1万4千票超の差をつけて破り当選。34歳の時でした。

2014年の第47回衆議院議員総選挙でも、菊田候補に前回よりも票差を大幅に縮められたものの再選。

2017年の第48回衆議院議員総選挙では、菊田候補に破れ、比例でも復活当選出来ずに落選しました。

落選から1週間後には、夫の宮崎謙介さんと『サンデージャポン』(TBS)に出演、以降はタレント、コメンテーターとして活動。

2019年10月に政治家を引退することを発表しました。

金子恵美の結婚歴や夫の宮崎謙介との馴れ初め

金子恵美さんの結婚歴は1度で離婚歴はありません。

金子さんと宮崎さんが結婚したのは2015年5月でした。金子さんが37歳の時で、宮崎さんは3歳年下で34歳。

馴れ初めは同じ自民党の同期当選だったことで、2012年の総選挙で2人とも初当選し、新人議員として国会議事堂に初登院した時に出会いました。

宮崎さんから金子さんに声をかけ、出会って2時間後にはランチに行ったそうです。

『政治家っぽくないアイツの空気が私には新鮮で、さらになかなかチカラ強いアプローチに、気づいたら側にいるのが当たり前になっていました』

同じ大学出身で、同じ派閥に入り共通点が多くあり、宮崎さんからの相談に乗っているうちに親密になり、出会いから2ヶ月で交際に発展。

交際期間約2年半を経て結婚しました。

金子恵美の子供は何人?

金子恵美さんの子供は息子が1人。2016年2月に誕生しました。

『我が家が小学校受験を決めたのは、息子が年中になるときです。まわりの受験組からは、「もう遅い」と言われ、焦ったことを覚えています。』

2022年には息子が小学校受験し、合格したことを明かしています。

金子恵美の夫の2度の不倫騒動

夫の宮崎謙介さんは2度の不倫が報じられています。

最初の報道は衆議院議員時代の2016年2月。金子さんが出産入試し、宮崎さん育児休暇を片言して間もなくの時でした。

相手は同年正月の国会開会日に着物で登院し、その着物の着付けをした女性。宮崎さんから声をかけ、金子さんが出産入院中に宮崎さんの地元の京都で密会。
報道されることになり、金子さんが事実を告白jされたのは出産した日の夜でした。

『どん底に突き落とすような行いへの怒りはもちろんありました。ただ離婚しようとは思いませんでした。不倫は全く許されませんが、それまで夫が掛けてくれた愛情や、政治家としての夫を尊敬する気持ちをてんびんにかけ、夫婦を続けることを選びました。』

報告された時には、お互いの支援者への説明などで、その先に待ち受けることで、頭がいっぱいになったといいます。

2度目は4年後の2020年11月でした。
相手は30代の医療従事者の女性で、2021年6月に女性が宮崎さんのインスタにコメントをし、返信したことがきっかけで知り合いました。

その後、ダイレクトメッセージでやりとりをし宮崎さんがコロナ禍で苦労している女性激励したり、相談に乗ったことで親密になり女性が指定したホテルで密会。

『「実はまた」って言った瞬間になんであんなにどん底で苦しんだのにもう1回同じことができるんだろうって本当に思ったんですよ』 『内容を聞いたら2度目はどちらかというとカウンセラーみたいなことをしちゃって…。すぐ許せるような内容だった』

金子さんは「実はまた」と言われた時はあきれましたが、話を聞いて納得し許したそうです。

テレビ番組で「3度目は許さないでしょ?」tろ聞かれると「中身ですね」と答えています。

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