東京都出身の女優・貫地谷しほりさん。
経歴や芸能界入りのきっかけ、大学などの学歴は?
結婚した旦那や子供は?
今回は女優の貫地谷しほりさんについてリサーチしてみました。
貫地谷しほりの学歴・経歴
名前 貫地谷しほり
生年月日 1985年12月12日
出身 東京都荒川区
身長 156cm
所属 ABP inc.
小学校・台東区立東泉小学校
中学校・山脇学園中学校、千代田区立麹町中学校
高校・私立高校、立志舎高校
大学・大妻女子大学文学部(中退)
父親、母親の3人家族。
ひとりっ子。
父親は会社員。
母親は飲食店を経営。
両親はびっくりするほどにぎやかだといいます。
『貫地谷しほり』は本名で、苗字の『貫地谷』は珍しく、全国でもも6、7世帯だけで、父親の地元の広島に集中しているようです。
両親はどんなささいなことでも、良い部分を見つけてくれて、努力したことには、結果が出なくても褒めてくれたそうです。
中学は山脇学園中学校に入学。
山脇学園中学校は東京都港区にある私立の女子中学。
中高完全一貫制の学校で、偏差値は55。
貫地谷は中学時代に芸能活動を始め、山脇学園が芸能活動禁止だったため、公立の千代田区立麹町中学校に転校しました。
高校は私立の高校に入学後、通信制の立志舎高校に転校しました。
大学は大妻女子大学文学部に進学。
その後、女優に専念するため、大学は中退しています。
女優に専念すると決めたのは21歳のときで、父親にそれを話したところ父親には、
『じゃあ残りの学費の分でエステ行って足細くしてこい!』
と言われたそうです。
貫地谷しほりの芸能界入りのきっかけ
貫地谷しほりさんが芸能界入りしたのは14歳のときで、きっかけはスカウトでした。
中学時代に下校時に新宿駅のホームでスカウトされたそうです。
スカウトされたときには、芸能界は将来の夢のリストにも入らない縁遠い世界だったといいます。
芸能界入りには父親や祖母が大反対。
しかし、母親が、
『しほりの人生。幸せは自分で求め、見つけていきなさい』
と背中を押してくれたといいます。
事務所に入った後には両親はバックアップしてくれ、レッスンなどで遅くなるときには必ず迎えにてくれたそうです。
入学した山脇学園中学が芸能界活動が禁止だったため、公立中学に転校しましたが、中学時代はオーディションに落ち続けていたといい、あまり活動はしていませんでした。
貫地谷しほり 朝ドラに主演
貫地谷しほりさんは中学時代に母親の知り合いを介して、伊藤正次演劇研究所(現税のIto M スタジオ)の存在を知り、研究生として入所。
研究所の研究生では最年少で、一番年が近かったの4歳年上の斎藤工さんだったそうです。
2002年2月公開の映画『修羅の群れ』で映画デビュー。
当時、16歳でした。
2004年9月公開の映画『スウィングガールズ』でトランペット担当の斉藤良江役で出演。
2005年2月に放送されたTBS系ドラマ『H2~君といた日々』でドラマデビュー。
2007年10月から放送されたたNHKの朝ドラ『ちりとてちん』で主演。
貫地谷しほりさが21歳のときでした。
『ちりとてちん』は応募者1864人の中からヒロインに抜擢されました。
朝ドラのオーディションは3回目の挑戦だったそうで、マネージャーにオーディションを勧められたときにまた落ちると思い、最初はは断ったそうです。
最終審査は『ちりとてちん』を制作するるNHK大阪放送局で行われ、設定はひとりで落語を練習するシーン。
貫地谷しほりさんは、最終審査では『絶対に受かりたいという気持ちが強くなっていたそうで、高座に走り込む演技では勢い余って転んで、ほっぺを畳にこすってしまったそうです。
貫地谷しほりの結婚した夫や子供は?
貫地谷しほりさんの結婚は2019年9月に発表。
33歳のときの結婚でした。
夫は一般男性。
出会いはご飯屋さんでたまたまだったと話しています。
お店のママみたいな人から『合うから』と言われ、貫地谷しほりさんは警戒していたそうですが、一緒にいた人たちと意気投合し、『後日、みんなでご飯いきましょう』という話にになり、交際に発展したそうです。
貫地谷しほりさんは、
『たまたま出会うってあるんだなと思いました』
と話しています。
結婚後の主婦業で一番好きなのは洗濯だといい、洗濯には並々ならぬこだわりがあるそうで、一日2回は回しているといいます。
2021年現在は貫地谷しほりさんに子供はいないようです。
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