小島慶子の結婚歴や夫、子供は?アナウンサーを志望したきっかけやADHD。学歴・経歴

元TBSアナウンサーで、エッセイスト、タレントの小島慶子さんの学歴やk経歴は?
アナウンサーを志望したきっかけは?
結婚歴や夫、子供は?
家族がオーストラリアに移住していましたが理由は?
40歳を過ぎてからADHDをと診断されたようですが症状は?

今回は元TBSアナウンサーの小島慶子さんをリサーチしてみました。

小島慶子の学歴・経歴

名前   小島慶子
生年月日 1972年7月27日
出身   オーストラリア・パース
身長   172cm
血液型  B型
所属   アップルクロス(個人事務所)

父親、母親、9歳年上の姉の4人家族。父親は商社マンで、母親は専業主婦。
9歳年上の姉は小島さんが中学3年生の時に結婚したといいます。

父親の転勤先のオーストラリア・パースで生まれ、3歳の時に日本に帰国。
東京都清瀬市で生活し公立小学校に入学しましたが、小学1年生の時にはシンガポールに転勤。
日本人学校に転入し9ヶ月暮らしたの後、小学2年生からは中国返還前の香港に移り、香港の日本人学校通いました。
小学3年生の時にに再び日本に帰国し、日野市立三沢台小学校を卒業しました。

『先生から見たら、おしゃべりが多く、落ち着きがなく、授業に集中できない子どもだったでしょう。』

よくしゃべる子供だったようですが、人とコミュニケーションを取るのは苦手で、転校先の日本時学校ではいじめられたこともあったそうです。

中学校は学習院女子中等科、高校は学習院女子高等科を卒業。
東京都新宿区戸山にある私立の女子校で、中等科の偏差値は61。中高完全一貫制のため高校での生徒募集はなく、偏差値もありません。

中学時代もコミュニケーションを取るのは苦手でした。

『人付き合いが上手で人気者のクラスメイトたちを観察するようにしました。「あの子はいいなあ、みんなに好かれて」と嫉妬しながらも、「ああいうタイミングで笑うんだ」、「こういうリアクションをすると好感度が上がるのか」と、その子を観察することでコミュニケーションの“型”を学習していったんですね。』

高校進学のタイミングで違う自分になろうと人気者を観察し、高校入学後に学習した「型」に1つ「無口な人」を実践。
それまでのおしゃべりな自分を封印し、話を振られるまではしゃべらずニコニコとして、時々相槌を打つということを1ヶ月続けたところ、中学からよく知る友達まで

『慶子ちゃんって大人しいね』

などと言い始めたといい、自分のふるまいを変えるだけで、周りの評価はこんなに簡単に変わるのかと驚いたといいます。

大学も内部進学で学習院大学・文学部法学部政治学科(偏差値67)に進学。
東京都豊島区目白にある私立大学です。

就職活動は1年生から始めたといいます。

アナウンサーを志望したきかっけ

小島慶子さんがアナウンサーをになりたいと思ったのは高校生の時でした。

『アナウンサーを志望した最初のきっかけは、高校時代にドキュメンタリー番組を見てテレビの世界で仕事をしたいと思ったことです。』

また、男性と対等に稼ぎたかったからだとも話しています。

1年からOBに会い、100人近くのOBに会ったといいます。
アナウンサー試験はフジtレビも受け、面接では手応えを感じて自信がありましたが不合格でショックを受け、翌日のTBSの面接で「実は昨日フジテレビの面接落ちまして」と話すと、話しが盛り上がり合格。1995年4月にTBSにアナウンサーとして入社しました。

1997年11月には『世界・ふしぎ発見!』のミステリーハンターを務め、1998年からはラジオ番組『BATTLE TALK RADIO アクセス』の初代ナビゲーターを担当し、翌年の1999年には第36回ギャラクシー賞DJパーソナリティー部門賞を受賞しました。

結婚歴や夫、子供

小島慶子さんの結婚歴は1度で、2000年、28歳の時に結婚。
夫はテレビ制作会社に勤務していた7歳年上の男性。交際期間は3年間だったといいます。

子供は息子が2人で、2003年に長男、2005年に次男が生まれました。

オーストラリアに移住

小島さんは2010年にTBSを退社。

『子どもたちには世界のどこでも生きていける力をつけてほしい。そのためには英語は必要だなと。私が出稼ぎすれば家はどこにあってもいいわけですから、じゃあ英語圏に住んじゃおうか! って』

2014年に子供も英語を身につけるために「教育移住」として、夫の退職を機に家族でオーストラリア・パースに移住。長男が6年生、次男が3年生の時でした。
子供は非英語圏から来た児童たちのためのIEC(インテンシブ・イングリッシュ・センター)を併設する公立小学校に入学し、1年後には地元の学校に通ったそうです。
小島さんは日本を拠点に仕事をして、3週間ごとにパースに通っていました。
次男が大学に入ったことを機に、2024年に日本に定住しています。

ADHD(発達障害)と診断されて症状は?

30代の頃から、理由もなく不安に襲われる不安障害の治療のために、精神科でカウンセリングを受けたことがきっかけで、40歳を過ぎて、軽度のADHD(注意欠如・多動症)と診断。
子供の頃からこんなことで苦労したなどの話をしたことで、主治医が発達障害も専門していたこともあり気づいてくれたそうです。

『私は落ち着きがなく気が散りやすい一方で、自分が興味を持ったことには集中し過ぎて気持ちの切り替えがなかなかできないところがあります。 また、子どもの頃は衝動性が強く出てしまい、思いつきで突飛な言動をして友達とトラブルになったり、先生に叱られたりすることがよくありました。』

大人になっても約束の時間を勘違いしたり、場所を忘れてしまったりとスケジュールの管理が苦手で、他の人なら「普通にできる」ことが、小島さんにとっては集中しないとできないことで、ずっと自己嫌悪を感じていたといいます。

ADHDと診断されてからは、必要以上に自分を責めなくなり、「具体的にどう対処するか」に考え方が切り替わったそうです。

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