小松政夫の結婚や妻、子供は?デビューしたきっかけや経歴・学歴、死因や晩年

1960年代からコメディアンとしてバラエティー番組で活躍し、伊東四朗さんとの息の合ったコンビ芸で一時代を築いた小松政夫さん。
芸能界デビューしたきっかけは?
結婚歴や妻、子供は?死因や晩年は?

今回はコメディアンの小松政夫さんをリサーチしてみました。

小松政夫の学歴・経歴

名前   小松政夫
生年月日 1942年1月10日
没年月日 2020年12月7日(78歳没)
出身   福岡県福岡市博多区
身長   165cm
血液型  A型
所属   ドン・タック

実家は博多で菓子店を経営、本名は松崎 雅臣(まつざき まさおみ)で、7人兄弟の5番目。
父親は生粋の九州男児。料理学校の先生をしていましたが、実業家に転身し菓子店をを始めました。

小学校は福岡市立草ヶ江小学校を卒業。
小学生の時には、実家のお菓子で友だちを集めては「バナナのたたき売り」や「がまの油」の口上を披露していたといいます。

幼少期の生活は裕福で、父親の建てたビルに住み、当時は配給制でサツマイモ、じゃがいも、クジラの脂身のところとなどが配給されている中、実家ではハムエッグとトースト、チョコレートなどを食べていました。

中学校は福岡市立博多第二中学校を卒業。
同中学は1983年に博多第一中学校と統合され、博多中学校になっています。

中学1年生の時に父親が結核で他界。
父親の死後に母親も知らなかった多額の借金があることがわかり、生活は一変。
所有していたビルは人手に渡り、庭付きの一軒家壱貫に引っ越しましたが、徐々に住む家が小さくなり、最終的には六畳と四畳半2間で共同トイレと共同炊事場のアパートで家族7人で暮らしました。

高校は福岡高校・定時制課程に進学。
高校時代は家計を助けるために、昼間は父親と付き合いがあった和菓子店「石村萬盛堂」に勤務。
高校では剣道部に所属し、3年生の時には生徒会長を務め、高校卒業俳優を目指して上京しました。

コメディアンデビューしたきっかけ

高校時代に俳優に憧れ、高校卒業後は横浜に住んでいた一番上の兄を頼って上京。
いくつかの劇団の試験を受け、俳優座に合格しましたが、入学金と月謝が高額だったため入団は断念。
ケーキ屋、生花店、ハンコ屋などさまざまなアルバイトを経験した後、事務機器の販売の仕事に就くと優秀なセールスマンになり、仕事先だった「横浜トヨペット」にスカウトされ転職。
横浜トヨペットではトップセールスマンになり、ラーメンが1杯40円、サラリーマンの給料が1万5000円の時代に、15万円を稼いだこともあったといいます。

当時は俳優になる夢も諦めて諦めてがむしゃらに働いていましたが、雑誌で大ファンだった「植木等の付き人兼運転手募集」の広告を見つけると応募。

『これだと思っちゃったんですよ。それこそ大草原のなかで四つ葉のクローバーが「おいでおいで」をしているみたいな感じ。』

約600人の応募の中から合格し、1964年1月、22歳の時に植木等さんの運転手兼付き人とりました。
月収は15万円から7000円になりましたが、植木さんと日々は夢のようだったといいます。

伊東四朗とのコンビで活躍

植木さんの出演していた『シャボン玉ホリデー』のレギュラーには俳優の松崎真さんがいたため、「松崎」と呼ばれると小松さんも返事をしてしまうことが多かったことから、小さいほうの「松崎」という意味で「小松」と呼ばれるようになり、その後、植木さんに小松政夫のと命名されました。

『植木に付いて行って休憩時間にサラリーマン時代の経験から「お前のせいで怒られちゃったじゃないか。もう、知らない、知らない、知らなーい」とからだをクネクネしながらやっていたのがプロデューサーの目にとまって、出させてもらうことになったんです』

『シャボン玉ホリデー』やクレージーキャッツの舞台、植木等さん主演映画で、前座や端役などで出演するようになり、付き人は始めて約4年経った時に独立。

『渡辺プロの社長と話して、マネジャーもお給料も全部決めてきたから、明日ハンコを持って事務所に行きなさい。明日から来なくていい』

植木さんがタレントとしての契約の段取りとすべてとっていてくれていて、突然のことで晴天の霹靂だったそうです。
クレージーキャッツの番組、舞台、映画に積極的に使ってもらい名が知れるようになり、1970年代にはバラエティ番組『みごろ! たべごろ! 笑いごろ!!』などで伊東四朗さんとのコンビ芸でギャグや「電線音頭」や「しらけどり音頭」が大ヒットし一時代を築きました。

結婚歴や妻、子供

小松政夫さんの結婚歴は1度で、結婚したのは1976年、34歳の時でした。
妻は一般女性の朋子さん。
出会いは居酒屋で、友達と来ていた朋子さんに小松さんが一目惚れして、声をかけて交際がスタート。

『初めは芸能人ってみんなこうなのかしらって思っていたんですが、あるとき、やっぱりおかしい!と思ってピシャリと言ったんです。亭主関白でしたが、いつの間にか立場が逆転してました(笑)』

結婚してから小松さんがすごく遊びまわることがわかり、浮気が発覚ししたこともあったといい、その時には酔っ払った小松さんを「蹴っ飛ばしてやりました」と朋子さんは話しています。

子供は息子が1人で、1979年に将高さんが誕生。
将高さんは6人組バンド「STEREO VISION」のドラムを担当するMasaとして活動しています。

死因や晩年

2019年11月の定期健診で肝細胞がんが判明。その後、抗がん剤の治療を受けながら、仕事を続けていました。
2020年11月14日に容態が悪化し入院。12月7日に肝細胞がんのために78歳で亡くなりました。

2020年8月23日から9月20日まで放送された、三田佳子主演ドラマ『すぐ死ぬんだから』(NHK BSプレミアム)でロク役を演じ、これが遺作となりました。

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