東京都出身の女優・紺野美沙子さん。
生い立ち、経歴や高校や大学などの学歴は?
結婚しているようですが夫の職業や馴れ初めは?
子供は何人?
現在の活動は?
今回は女優の紺野美沙子さんをリサーチしてみました。
目次
紺野美沙子の学歴・生い立ち・経歴
名前 紺野美沙子
生年月日 1960年9月8日
出身 東京都
身長 167cm
所属 グリーンオフィス
小学校・カリタス女子小学校
中学校・カリタス女子中学校
高校・慶應義塾女子高校
大学・慶應義塾大学
東京都狛江市出身。
3人姉妹の次女。
父親は会社員でしたが、両親は小学2年生の時に離婚。
母親に引き取られ母親と祖母と3人姉妹で暮らしていましたが母親が小学4年生に時にNHK交響楽団のホルン奏者だった男性と再婚しました。
小学校はカリタス女子小学校、中学校はカリタス女子中学校を卒業。
はカリタス女子小学校・中学校は神奈川県川崎市にある私立校。
小学校は男女共学ですが中学は女子校です。
小学5年生の時に演劇クラグに入りました。
中学時代には歴史クラブの所属。
高校は慶應義塾女子高校に進学。
慶應義塾女子高校は東京都港区三田にある私立の女子校で現在の偏差値は76。
都内でもトップクラスの難関校です。
高校の時にはフィギュアスケートやっていたそうです。
大学は慶応大学文学部国文科を卒業。
大学時代はフィギュアスケート部に入部。
大学卒業は女優の道に進みました。
紺野美沙子の女優になったきっかけは?
紺野美沙子さんが女優になったのは小学校5年生の時に入った演劇クラブがきっかけでした。
小学校に国語の授業の朗読が楽しくて、クラブ活動が5年生の時に迷わず演劇部に入部したそうです。
演劇部の顧問の先生は厳しい指導をする一方、うまくできたときには心の底から褒めてくれ、子供ながらに演劇の面白さを感じたといい、この頃には演劇の道に進みたいと思っていたといいます。
その後、児童劇団に所属し、1976年10月にTBS系特撮ドラマ『宇宙鉄人キョーダイン』に出演し女優デビュー。
翌年の1977年1月にはHNKのドラマ少年ドラマシリーズ『未来からの挑戦』に出演しました。
当時16歳でした。
紺野美沙子 朝ドラヒロイン
1976年に女優デビュー後、1979年に写真撮影が趣味の叔父が紺野美沙子さんの写真を雑誌に投稿したことがきっかけで3代目ユニチカマスコットガールに選出。
同年4月公開の映画『黄金のパートナー』で映画初出演。
翌年の1980年10月から放送されたNHK連続テレビ小説『虹を織る』ヒロイン・島崎佳代で本格的に女優デビューました。
大学在学中の20歳の時でした。
1987年には第10回日本アカデミー賞 優秀助演女優賞を受賞していいます。
紺野美沙子の結婚した夫の職業は?
紺野美沙子さんが結婚したのは1992年。
32歳の頃でした。
結婚した夫は篠田伸二さん。
職業はTBS職員でした。
年齢は1歳年下。
上智大学卒業後TBSに入社しドラマやドキュメンタリーの制作を担当していました。
仕事を通じて出会い、グループ交際を経て交際に発展し結婚したそうです。
篠田伸二さんは2016年3月末でTBSを退職し、株式会社2s(トゥース) を設立。
2020年4月からは富山県氷見市の副市長に就任しています。
紺野美沙子の子供は何人?
紺野美沙子さんの子供は息子が1人。
結婚3年目の1995年に誕生しました。
2014年のインタビューでは『大学生の息子は間もなく20才』と話し、2020年には『1人息子は大学を卒業して独立』と話しています。
紺野美沙子の現在の活動は?
紺野美沙子さんは結婚後も女優業を続けていましたが子供が生まれてからは露出は大幅に減っています。
2010年からは『紺野美沙子の朗読座』主宰し、2016年1月、岐阜県図書館名誉館長に就任。
相撲好きで知られ、2019年には『大相撲の継承発展を考える有識者会議』委員を務め、2022年からは横綱審議委員会委員を務めています。
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