沢田亜矢子さんは北海道出身の女優。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
女優になったきっかけは?
子供の父親は?
元夫は松野行秀(ゴージャス松野)さんですが馴れ初めや離婚理由は?
今回は女優の沢田亜矢子さんをリサーチしてみました。
目次
沢田亜矢子の学歴・生い立ち・経歴
名前 沢田亜矢子
生年月日 1949年1月1日
出身 北海道
身長 160 cm
所属 オフィスのいり
小学校・北見市立若松小学校
中学校・北見市立南中学校
高校・北海道北見北斗高校
大学・国立音楽大学
北海道北見市生まれ。
本名は澤田元美。
父親はいつもにこにこしている人で、一度も不機嫌な顔を見たことが無く、母親は寝ているところを見たことが無い程の働き者で子供に教養と知識と精神力をつけさせる為に必死でサポートしてくれたといいます。
小さい頃から歌や芸事が好きで、幼稚園の頃には独唱などひとりで舞台に立たされることが多かったそうです。
兄弟は妹。
小学校は北見市立若松小学校、中学校は北見市立南中学校を卒業。
小学校の時はソフトボール部でポジションはピッチャー、中学では合唱部に所属。
ピアノも習っていました。
高校は北海道北見北斗高校を卒業。
北海道北見北斗高校は北海道北見市北斗町にある男女共学の道立高校。
現在の偏差値は62。
高校時代は生徒会活動をしながら合唱部にも所属。
オペラ歌手を目指し札幌まで歌のレッスンにも通っていました。
大学は国立音楽大学声楽科に進学。
大学時代は東大紛争があった頃で、沢田亜矢子さんも学費値上げ反対運動などに参加したそうです。
オペラ歌手を目指して大学に進学しましたが、大学在学中に音楽教師になろうと考え、教職課程もとっていましたが、教育実習直前で自信がなくなってしまい22歳の時に大学は中退しました。
沢田亜矢子が女優になったきっかけは?
沢田亜矢子さんの芸能界入りのきっかけはスカウト。
沢田亜矢子さんは大学中退後、昼間は子供たちにピアノを教え、夜はクラブ、キャバレーのショーで歌やピアノを披露し生活していました。
その後、高輪プリンスホテル内『ナイトスポット』のオーディションに合格しピアノの弾き語りをしている時にスカウトされたそうです。
1973年6月に『アザミの花』をリリースし歌手デビュー。
同年9月から放送されたテレビ朝日系ドラマ『じゃがいも』で女優デビューもしました。
沢田亜矢子 ルックルックこんにちはで司会
沢田亜矢子さんは1973年に歌手デビュー後、1983年までに9枚シングルをリリース。
1979年4月から放送された日本テレビ系ワイドショー『ルックルックこんにちは』の司会を担当。
『私は何をすればいいのって思ってました。そもそも司会なんてできるとも思っていなかったし、きっと失敗すると思っていました』
引用 https://www.jprime.jp/
当時は歌手デビューし5年、時代劇などで女優もしていましたが一向に先が見えな状態だったそうで、北海道なまりも抜けず人前で話すことも苦手だったといいます。
『ほとんど話をしないで、下を向いていました』
引用 https://www.jprime.jp/
オーデションであまり話さなかったをうですが、それが会像と合致したのか新番組の司会し抜擢。
当時30歳でした。
『ルックルックこんにちは』は沢田亜矢子さんの司会の時代は局アナなどもアシスタントなしで進行からニュース読みもすべて沢田亜矢子さんひとりでこなしたそうです。
番組の初日はスタジオに入った瞬間、全部のカメラが自分に向いていることに驚いたといいます。
プロデューサーからは目立つなと言われ、主役はレポーターであることを理解し、とにかくレポーターが気持ちよく仕事できるように心がけていたそうです。
番組は当初は2~3%の視聴率でしたが3ヶ月後には何倍にもなったといいます。
沢田亜矢子さんは1984年9月まで5年半司会を務めました。
司会時代に事務所に、
『亜矢子ちゃん,今のうちよ。貯金するのは』
と言われ贅沢はしないようにし、余ったお金は全部貯金して5年半の司会業で家を建てたそうです。
1984年以降は女優として活動し、特に2時間ドラマに多く出演しています。
沢田亜矢子 年齢詐称がバレる
『ルックルックこんにちは』の司会時代に沢田亜矢子さんは年齢詐称がバレています。
『ルックルックこんにちは』の『ドキュメント女ののど自慢』のコーナーに同級生が出演し、その同級生が沢田亜矢子さんが公表していた年齢より4歳年上だったことで年齢をごまかしていたいたことが発覚しました。
沢田亜矢子の子供の父親は?
沢田亜矢子さんは1985年に週刊誌に元プロ野球選手の江本孟紀さんとのスキャンダル写真が掲載され、同年4月から渡米。
渡米中の8月にシングルマザーとして長女を極秘で出産し、出産から3年後の1989年に出産が発覚し、その事実を認めました。
出産後は娘は妹の籍に入れていました。
娘の名前はかおりさん。
父親については現在も明らかにしていません。
しかし、娘のかおりさんには20歳になった後に父親について詳しい話しをしたそうです。
それまでかおりさんが父のことが気になって母に訊ねてもはぐらかされていたといい、子供心に感じるところもあり深くは聞かなかったといいます。
『その時はもう私も大人になっていたので、まあ 男女 色々あるだろうなっていう事もなんとなく わかりましたし。』
かおりさんはそれまで反抗することもあったそうですが、父親の話しを聞いた後はそれもなくなったそうです。
父親のことは話した後には娘を自分の戸籍に入れました。
沢田亜矢子の娘はシンガーソングライター
かおりさんは澤田かおり名前でシンガーソングライターとして活動しています。
桐朋女子高等学校作曲専攻を卒業後、渡米しニューヨークのブルックリン音楽院にてヴォーカルレッスンを受け、2006年にバークリー音楽大学に入学。
2011年8月に 初のミニアルバム『Affectionately Yours』を発表。
2012年にシンガーソングライター光永泰一朗さんと結婚。
2015年11月に 初のメジャーアルバム『Songwriter』をリリースし、2016年、2017年にライブツアーを行っています。
2019年に放送されたドラマ『きのう何食べた?』では音楽を担当し、2021年の劇場版でも音楽を担当しました。
沢田亜矢子と夫の馴れ初めは?
沢田亜矢子さんが結婚したのは1995年5月。
46歳の時でした。
夫は松野行秀さん。
年齢は12歳年下。
当時の沢田亜矢子さんの担当マネージャーでした。
結婚時、娘は10歳くらいでした。
入籍後、沢田亜矢子さんの個人事務所の社長になっています。
沢田亜矢子と夫の離婚理由は?
沢田亜矢子さんが離婚したのは2001年2月。
結婚6年目でした。
離婚報道がされたのは結婚2年目の1997年12月。
離婚したいという沢田亜矢子さんと対立しているとされました。
1998年1月に沢田亜矢子さんがDVを受けたと主張し、夫の松野行秀さんは事実無根と反論。
1999年9月から地方裁判所で審議が始まり、2000年9月、東京地裁の判決が確定され離婚が認められました。
沢田亜矢子さんの勝訴が確定しましたが判決では『妻・子供への暴力』は証拠がないと否定されています。
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