北海道出身の演歌歌手・牧村三枝子さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
デビューしたきっかけは?
大ヒット曲のみちづれは渡哲矢さんの曲だった?
結婚歴や夫、子供は?
今回は演歌歌手の牧村三枝子さんをリサーチしてみました。
牧村三枝子の学歴・生い立ち・経歴
名前 牧村三枝子
生年月日 1953年12月21日
出身 北海道
血液型 A型
所属 サンミュージック
高校・・日本音楽高校
大学・・大学には進学していません
北海道美唄市出身。
父親は炭鉱労働者。
5人兄弟の末っ子。
中学卒業後は上京し、釣具店に就職。
高校は日本音楽高校を卒業との情報がありましたが、いつ入学して卒業したかは不明でした。
日本音楽高校は2023年に品川学藝高校に改称され、女子校でしたが男女共学化されています。
東京都品川区豊町にある私立高校。
卒業生には深津絵里さんや栗山千明がいます。
牧村三枝子がデビューしたきっかけは?
『雨の日にオーディションがあって。6曲歌うことになって「ほかの事務所には行かないでください」とスカウトされました。』
引用 https://www.nikkansports.com/
牧村三枝子さんは幼少時から歌が好きで、炭鉱で働く人の前で、歌った経験もあったといい、小学校高学年時には『東京に行って、歌手になって、両親に家を建てる』と決めていたといいます。
中学卒業後は上京し、釣具店で働きながら、1972年、18歳の時にサンミュージック・タレントスクールのオーディションを受け、事務所に所属しました。
牧村三枝子 みちづれは渡哲也の歌だった?
1972年7月に『少女は大人になりました』で歌手デビュー。
18歳の時でした
1976年1月には日本テレビ系ドラマ『大都会-闘いの日々-』でドラマデビュー。
1978年10月にリリースした12作目のシングル『みちづれ』オリコンチャート8位にランクイン。
1979年度年間チャートで9位、翌年の1980年度年間でも62位入り、
第21回日本レコード大賞 ロング・セラー賞
を受賞。
100万枚を超える大ヒットとなしました。
同曲はレコード会社の先輩だった渡哲也さんがアルバムの中の1曲として発表。
1975年にはシングルとして発売もされましが、ヒットはしませんでした。。
牧村三枝子さんのディレクターが、この曲を歌うことを牧村三枝子さんに勧め、曲を聴いた幕村三枝子さんはメロディも歌詞も気に入り、この曲を歌いたいと渡哲也さんに直談判。
渡哲也さんは快諾し、『みちづれ』を発売。
しかし、当初は売上は伸び悩み、それを知った渡哲也さんは自分では『みちづれ』を歌わないことを決めたといいます。
その後、一転して牧村三枝子さんの『みちづれ』は売れ始め、オリコンでの最高位は8位でしたが、100位以内には通算で72週もの間ランクインしたロングヒットとなりました。
累計で渡哲也さんの『みちづれ』は20万枚、牧村三枝子さんの『みちづれ』は120万枚売り上げました。
1979年の『第30回NHK紅白歌合戦』には出場が有望視されながら落選となりましたが、それから2年後の『第32回NHK紅白歌合戦』に初出場。
紅白歌合戦には1984年まで4年連続出場しました。
牧村三枝子の結婚歴や夫、子供は?
『人と一緒にいるの嫌なので。だから、今でも独り者です!』
引用 https://www.tokyo-sports.co.jp/
牧村三枝子さんに結婚歴はなく独身で、子供もいません。
以前に結婚するなら渡哲也さんか石原裕次郎さんで、他の男性に一切目が行かなくなったと話していたという情報がありました。
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