世良公則さんは広島県出身のミュージシャン。
生い立ち経歴や高校、大学などの学歴は?
ミュージシャンになったきっかけは?
結婚しているようですが妻は?
子供は何人?
今回はミュージシャンのさん世良公則をリサーチしてみました。
世良公則の学歴・生い立ち・経歴
名前 世良公則
生年月日 1955年12月14日
出身 広島県
身長 176cm
所属 ポニーキャニオン
小学校・福山市立旭小学校
中学校・福山市立向丘中学校
高校・福山葦陽高校
大学・大阪芸術大学
広島県福山市出身。
父親は地方公務員。
母親は保育士。
家は県営住宅で団地住まいでした。
隣に住んでいたお兄ちゃんの影響で、3歳からバイオリンを習い、高校2年生ぐらいまで続けました。
幼少期には滑り台の上から積み木をばら撒くようなヤンチャな子供でもありました。
小学校は福山市立旭小学校、中学校は福山市立向丘中学校を卒業。
楽器が得意で、ハーモニカや縦笛もすぐ吹けたそうです。
中学時代はバレーボール部に所属。
ギターを始めたのも中学の時で、友達とボブ・ディランやニール・ヤングを演奏していたそうです。
高校は福山葦陽高校を卒業。
福山葦陽高校ハ広島県広島県福山市久松台にある男女共学の県立高校。
現在の偏差値は50。
高校2年生の時、友人とバンド『FBI』結成。
ベースがいなかったので、世良公則さんはベースを担当しました。
大学は大阪芸術大学芸術学部放送科を卒業。
大学3年生の時、『8・8ロックデイ』というう関西で大きなロックコンテストの大阪代表決定戦に進出。
しかし、ボーカリストが就職活動でどうしても出られなくなり、世良公則さんがベースを弾きながら歌うことになりました。
その後、ベーシストが加わり世良則さんはボーカル専門になったそうです。
世良公則&ツイストでデビュー
世良公則さんが正式にボーカルになり、大学4年生の時にバンド名を『ツイスト』に変更。
1977年、大学卒業前にバンド解散のけじめとしてヤマハポピュラーソングコンテストに出場。
同年10月、世良公則さん作詞・作曲の『あんたのバラード』がポプコン本選会でグランプリを獲得。
ヤマハポピュラーソングコンテストはフォークやニューミュージック系が多く、ロックバンドがグランプリを獲るのは初めてのことだったといいます。
同年11月の第8回世界歌謡祭でもグランプリを獲得。
バンドは世良公則さんとキーボードの神本宗幸さん以外のメンバーはがプロとして活動することを拒否したため、大学のバンド仲間で、別バンドに所属しているプロ志向の仲間達を加入させ、同月『世良公則&ツイスト』を結成。
同月に『あんたのバラード』をリリースしデビュー。
オリコンは最高6位でした。
1978年7月にリリースしたデビューアルバム『世良公則&ツイスト』はオリコンで1位を記録。
翌月の8月にリリースした3枚目のシングル『銃爪(ひきがね)』もオリコンで1位になり、ザ・ベストテンでは1978年度年間1位も獲得しました。
同年末には第29回NHK紅白歌合戦に初出場。
紅白歌合戦に翌年の第30回にも出場しました。
バンドは1981年に解散し、以降はソロとして活動を開始しました。
世良公則 俳優としても活躍
1978年4月にTBS系の刑事ドラマ『明日の刑事』に『世良公則&ツイス』で出演。
これが最初のドラマ出演でした。
単独で出演したのテレビ系ドラマ『さよならも言わずに消えた!』。
以降は多くのドラマに出演し、1982年9月からは『太陽にほえろ!』にボギー刑事役で1984年4月まで出演しました。
1984年11月公開の映画『ザ・オーディション』で映画初出演。
1986年11月公開の映画『極道の妻たち』で、
第10回日本アカデミー賞 優秀助演男優賞
を受賞。
1998年10月公開の映画『カンゾー先生』でも、
第22回日本アカデミー賞 優秀助演男優賞
を受賞しました。
世良公則の結婚した妻
世良公則さんが結婚したの1981年。
25歳の時でした。
妻は一般女性の典子さん。
高校の時から交際していた女性のようです。
1980年には婚約発表をしています。
世良公則の子供は何人?
世良公則さんの子供は、『息子』か『娘と息子』がいるとの情報がありましたが、本人から子供について話している情報は見つからず真偽は不明でした。
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