中垣内祐一の結婚や妻、子供は?現役時代の活躍や最高到達点。経歴・学歴

現役時代には「スーパーエース」と呼ばれ、全日本のチームの中心的なスパイカーとして活躍した中垣内祐一さん。
バレーボールを始めたのは中学時代でしたが、本格的に始めたのは大学の時でした。
現役時代の活躍や最高到達点は?
結婚歴や妻、子供は?

今回は元バレーボール選手の中垣内祐一さんをリサーチしてみました。

中垣内祐一の学歴・経歴

名前   中垣内祐一
生年月日 1967年11月2日
出身   福井県福井市
身長   194cm
血液型  A型

実家は福井市の米農家。20歳の頃から50歳になった家業を継ごうと思っていたといい、50代半ばで実家に戻り継いでいます。

小学校は福井市立鶉(うずら)小学校、中学校は福井市立川西中学校を卒業。
小学生の時には野球に夢中で、中学校でも野球部に入ろうを思っていましたが、顧問に熱心に誘われバレーボール部に入部。
身長は中学3年間で30cm近く伸びたそうです。
中学時代の成績はとてもよく、学年でトップの成績を取ることもめずらしくなく、3年生の時には生徒会長を務め、卒業時には答辞も読みました。

高校は福井県トップの進学校・藤島高校に進学。
福井県福井市文京にある男女共学の県立高校で、偏差値は68。

『なにしろ、同じクラスから2、3人は東大や京大に行く学校。”やればできるけど、やらないだけ”と逃げ道を作っている僕のような生徒は、ついていけません。入学当初はまだよかったけど、ひどいときにはケツから数えたほうが早いくらい成績が落ちました。』

高校時代もバレーボール部に所属。
バレー部には「とりあえず籍があるという程度」と話し、どのローテーションからでも中垣内さんが打つとうワンマンチームでしたが、高校3年生の時には北信越大会まで進出。

このことが関係者に評価されていることを知り、大学でもバレーボールを続けようと、3年生から必死に受験勉強をし、1986年に筑波大学・体育専門学群(偏差値60)に入学。
全国大会は逃したため、推薦などはなかったため一般入試での合格でした。
大学時代は持ち前のジャンプ力で入学直後から力を発揮、1989年には全日本代表に初選出され、同年に開催されたワールドカップにも出場しました。

現役時代や最高到達点

大学卒業後、1990年に新日鐵入部。ルーキーイヤーにはMVP、新人賞、猛打賞、ベスト6と4冠を獲得。

現役時代の最高到到達点は346cmで、全盛期のジャンプ力は1m以上あったといわれています。
「ガイチ」のニックネームで日本代表でも活躍し、1992年バルセロナオリンピックに出場し6位入賞に貢献。
1990年代には「スーパーエース」と呼ばれ、女性からは絶大な人気を博しました。
しかし、日本代表は相対的に弱体化し、1996年アトランタ五輪、2000年シドニー五輪の出場権を逃し、2004年、36歳で現役を引退しました。

日本代表監督から農業

現役引退後は堺ブレイザーズ監督に就任し、2005-2006年シーズン、Vリーグ優勝。
2009年5月に監督を辞任後、同年夏から日本オリンピック委員会スポーツ指導者海外研修員として海外へ2年間派遣。

男子日本代表コーチを経て、2016年10月に日本代表監督に就任。
2021年の東京オリンピックでは、、自身がエースだった1992年バルセロナ五輪の6位以来のベスト8(7位)進出を果たし、東京オリンピック終了後に監督を退任。2022年6月には所属していた堺ブレイザーズも退団しました。

退団後は実家を継ぎ専業の米農家として働くつもりでしたが、中垣内さんが地元に戻ったことを知った学校法人金井学園の関係者からの誘いがあり、2022年10月に金井学園傘下の福井工業大学教授に就任。
同大学や系列の中学、高校のバレーボール部の総監督にも就任しました。
休日には実家の農業を営み、兼業農家をしています。

結婚歴や妻、子供

中垣内祐一さんの結婚歴は2回。

最初の結婚は1993年、26歳の頃でした。結婚相手は2歳年下のさおりさんという女性。

『中垣内氏は妻子ある身にもかかわらず、ロンドン五輪最終予選の宿舎にA子さんを呼び、試合前に会うなど親密な交際を続けていたのだ。』

2012年に週刊誌で中垣内さんの不倫が報道され、2014年には慰謝料を払って離婚していたことが報じられました。

再婚したのは2014年で13歳年下の不倫相手だった女性でした。

『中垣内さんはその後奥さんと離婚し、不倫相手だったA子さんと年前に再婚しています。今年1月に、男の子も生まれました』

中垣内さんの子供は3人で、前妻との間に娘が2人、再婚相手との間に息子が1人います、

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