東京都出身の中井貴一さん。
生い立ち、経歴や高校や大学などの学歴は?
結婚しているようですが妻との馴れ初めや子供は?
今回は俳優の中井貴一さんをリサーチしてみました。
中井貴一の学歴・生い立ち・経歴
名前 中井貴一
生年月日 1961年9月18日
出身 東京都
身長 181cm
所属 OFFICE-NAKAI
小学校・世田谷区立八幡小学校
中学校・成蹊中学校
高校・成蹊高校
大学・成蹊大学
東京都世田谷区出身。
父親は俳優の佐田啓二さん
物心つく前の2歳の時に37歳の若さで交通事故で亡くなったため父親の記憶はなく、映画で見た姿しか知らないといいます。
子供の頃から父親の映画を見ていましたが俳優としてではなく父親として見ていたそうです。
4歳年上の姉はの女優、エッセイストの中井貴惠さん。
貴一の名は映画監督の小津安二郎さんが名付け親。
母親は大船撮影所の近くの食堂の娘だった益子さん。
『父の分もという(育児への)意識が強かったのでしょう』
引用 https://hochi.news/
母親は礼儀作法に厳しく、食事の時に醤油などこぼすと食事を下げられたり、叩かれたりもしたといいます。
小学校は世田谷区立八幡小学校を卒業。
成蹊中学校、成蹊高校を経て成蹊大学経済学部卒業しました。
中学でテニス部に入部。
絵に描いたような体育会系で1年間はラケットも握らせてもらえず、20人近くいた新入部員は7人になったそうです。
高校、大学でもテニスに打ち込みました。
中井貴一の父親は俳優・佐田啓二
中井貴一さんの父親の佐田啓二さんはトップスターのひとりでした。
1947年、21歳で映画『不死鳥』で大スターだった田中絹代さんの相手役に抜擢されデビュー映画でスターの地位を獲得。
1956年の映画『あなた買います』では毎日映画コンクール、ブルーリボン賞の主演男優賞を受賞しました。
1957年2月、30歳の時に松竹大船撮影所の前にあったレストラン『月ヶ瀬』の看板娘だった杉戸益子さんと結婚。
交際期間は10年だったといいます。
1964年8月、夏休みを兼ねて妻と子供2人とと信州蓼科高原の別荘を訪れていた際に、ドラマの撮影に参加するために早朝に車で帰京。
その途中に佐田啓二さんの運転手が交通事故を起こし、乗ってたのは佐田啓二さんを含む4人で佐田啓二さんだけが亡くなりました。
事故の原因は運転手の居眠りだったそうです。
中井貴一が俳優になったきっかけは?
中井貴一さんは赤面症で人の前に立つのが嫌いで学芸会でも周りから忘れられたいと思っているような子供で俳優になるつもりは全くなかったそうです。
しかし、父親の十七回忌に来ていた監督の松林宗恵さんにスカウトされたことで大学在学中に俳優デビューしました。
スカウトされ俳優だった父親について初めて考えるようになったそうですが、当初は断るつもりだったといいます。
監督に会い、
『ワシはどうしてもあんたが必要なんだ。答えを出してくれ』
と言われた時、何かに押されるように、
『分かりました。やります』
と言ってしまったそうです。
後になって考えてもなぜそう答えたかは分からないといいます。
1981年8月公開の映画『連合艦隊』で俳優デビュー。
中井貴一さんは同映画で日本アカデミー賞 新人俳優賞を受賞しました。
翌年の1982年にはNHKのドラマ『立花登 青春手控え』でドラマ初出演で初主演。
1983年から放送されたTBS系主演ドラマ『ふぞろいの林檎たち』でブレイクしました。
中井貴一と妻の馴れ初めは?
中井貴一さんが結婚したのは2000年9月。
39歳の時でした。
妻は6歳年下でスポーツ用品メーカーに勤務していた吉谷麻友子さん。
中井貴一さんの友人が妻の同僚で友人を通じて出会ったようです。
結婚の決め手になった要因に1つは『立ち食いそば』だったといいます。
3回目のデートで学生時代から行きつけの立ち食いそば屋に誘ってみたところ、初めてでしたが『おいしいね』と言って食べてくれ、後日、牛丼の吉野家に連れて行った際も喜んで食べてくれて、これならやっていけると思ったそうです。
約2年の交際を経て結婚。
挙式はアメリカ・オレゴン州の教会で行われました。
中井貴一さんに子供はいないようです。
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