小田和正の結婚歴や妻は?子供はいる?高校、大学などの学歴や経歴・生い立ち

神奈川県出身のシンガーソングライター・小田和正さん

生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?

デビューしたきっかけは?

結婚歴や妻は?

子供はいる?

今回はシンガーソングライターの小田和正さんをリサーチしてみました。

小田和正の学歴・生い立ち・経歴

名前   小田和正
生年月日 1947年9月20日
出身   神奈川県横浜市金沢区
身長   172cm
血液型  A型
所属   ファー・イースト・クラブ

 

小田和正の学歴

小学校・関東学院六浦小学校、横浜市立八景小学校

中学校・聖光学院中学校

高校・・聖光学院高校

大学・・東北大学

大学院・早稲田大学大学院理工学研究科(現早稲田大学理工学術院)

実家は薬局『小田薬局』を経営。

兄弟は兄で、薬剤師になり家業を継いでいます。

小学校は関東学院六浦小学校に入学し、横浜市立八景小学校に転校して卒業。

関東学院六浦小学校は、神奈川県横浜市金沢区六浦東にある私立小学校。

幼少期にはバイオリンを習い、小学生の時には音楽が好きだった父親の影響でジャズなどを聴いていたといいます。。

小学3年生からは中学受験のために塾に通っていました。

中学校は聖光学院中学校、高校は聖光学院高校を卒業。

聖光学院中学校・高校は神奈川県横浜市中区滝之上にある私立の男子校。

聖光学院中学校の偏差値は72。

完全中高一貫制のため、聖光学院高校の生徒募集はありませんが、毎年多くの東京大学合格者を出す進学校で、推定偏差値は70以上です。

中学、高校ともに野球部に所属し、キャプテンも務めました。

高校時代にギターを始めています。

高校卒業後は、東北大学・工学部建築学科に進学。

宮城県仙台市青葉区にある国立大学で、工学部建築学科の偏差値は62。

高校の時に授業で建築模型を製作して以来建築に興味を持ったそうです。

千葉大学の医学部の受験も検討ししたそうですが、大学見学の時に消毒液の臭いとカーテンの汚さが嫌で受験を諦めたといいます。

大学卒業後は、東北大学大学院の受験に失敗し、1971年に早稲田大学大学院・理工学研究科に進学しました。

小田和正がデビューしたきっかけは?

小田和正さん小学3年生から中学受験のために塾に通い、小学6年生の時に通学と途中の電車内で後にオフコースのメンバーになる鈴木康博さんと出会いました。

塾も同じで仲良くなり、2人とも聖光学院中学校に進学し、同中学校で地主道夫さん、須藤尊史さんとも出会いました。

中学で英語を学び、洋楽に興味を持ったことで音楽に目覚め、高校で3年生の時の学園際では4人で演奏を披露。

大学は東京と仙台とで離ればなれになりましたが、お互いに頻繁に行き来し音楽活動も続け、1969年、大学4年生の時に『ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト』の東北大会に『ジ・オフ・コース』として出場し、東北地区を1位で通過、全国大会に進出。

小田和正さんは『寝ててもできるくらい』猛練習をし、自身を持って全国大会に出場しましたが、準優勝に終わりました。

優勝は財津和夫さんがいた『赤い鳥』でした。

小田和正さんは優勝して音楽活動にけじめをつけるつもりでしたが、2位になったことで

『このまま終われない』

とプロの道を歩むことを決めたといいます。

小田和正 デビュー後

大学在学中に地主道夫さんは小田和正さんと鈴木康博さんの音楽性についていけず、建築家に進路を定めて脱退し竹中工務店入社。

『オフコース』は1970年4月にシングル『群衆の中で』でデビュー。

1975年12月の7枚目のシングル『眠れぬ夜』が約27万枚売り上げるヒットを記録しましたが、以降はヒット曲には恵まれませんした。

1972年からは小田和正さんと鈴木康博さんのデュオで活動していましたが、1976年にギターの松尾一彦さん、ベースの清水仁さん、ドラムスの大間ジローさんが加わり、キーボード、シンセサイザーを含めた実質的に5人のバンドとなりました。

デビュー10年目の1979年12月に発売した、17枚目のシングル『さよなら』がオリコンチャート2位になる大ヒットを記録し、このシングルからオフコースはニューミュージックの代表的グループとして認知されるようになりました。

1983年8月に鈴木康博さんが脱退し、4にで活動した後、1989年に解散。

解散前の1986年からソロでも活動をしていましたが、解散後にソロ活動を本格化し、1991年にフジテレビ系ドラマ『東京ラブストーリー』の主題歌として制作した『ラブ・ストーリーは突然に』がオリコンチャート1位を獲得し、、258.8万枚のミリオンセラーを記録。

以降は、ヒットメーカーとしての地位を確立しました。

小田和正の結婚歴や妻は?

小田和正さんが結婚したのは1983年9月、35歳の時でした。

妻は一般女性の新井恵子さんで、年齢は6歳年下。

馴れ初めはオフコースのファンクラブ設立だといいます。

恵子さんは音楽プロダクションで働いていて、彼女の友人がオフコースのファンクラブで会報作りを担当していたのがきっかけで小田和正と知り合い交際がスタート。

約10年の交際期間を経ての結婚だったようです。

小田和正に子供はいる?

小田和正さんに子供がいるという情報はありませでした。

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