利重剛の結婚歴や妻は?子供は何人?高校、大学などの学歴や経歴・生い立ち

神奈川県出身の俳優・利重剛さん

生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?

俳優になったきっかけは?

結婚歴や妻は?

子供は何人?

今回は俳優の利重剛さんをリサーチしてみました。

利重剛の学歴・生い立ち・経歴

名前   利重剛
生年月日 1962年7月31日
出身   神奈川県
身長   178cm
血液型  B型
所属   クォータートーン

 

利重剛の学歴

高校・・成蹊高校

大学・・成蹊大学(中退)

神奈川県横浜市鶴見区出身。

本名は笹平剛。

母親は脚本家の小山内美江子さん。

代表作は、TBSのテレビドラマ『3年B組金八先生』やNHKの大河ドラマ『徳川家康』『翔ぶが如く』など。

幼少期に両親は離婚。

母親に引き取られて育ち、1歳になる前の離婚で父親の記憶はなかったそうです。

両親が離婚していたことは小学6年生の時に教えられました。

それまでは父親はサンフランシスコで働いていると聞かされていて、誕生日とクリスマスには父親から手紙た来ていたそうです。

母親は利重剛んが小学6年生になり、このままではバレると思い、離婚していることと、父親はサンフランシスコではなく、狛江に住んでいることを告白したそうです。

6年生で初めて父親にあった時には会話は『ですます調』だったといいます。

小学生までは横浜で暮らし、中学時代は伊豆に移りました。

高校は成蹊高校を卒業。

成蹊高校は、東京都武蔵野市吉祥寺北町に亜ある男女共学の私立高校。

現在の偏差値は68。

高校時代は自主制作映画と作っていました。

大学は成蹊大学に進学。

現在の偏差値は45~58。

大学は1年生の時に中退しています。

利重剛が俳優ではなく監督志望だった

利重剛さんは小学5、6年生の頃から多くに映画を見ていました。

中学に伊豆に移り、田舎で近くに映画館がなくツラく、そこで初めて自分が映画が好きなことに気づいたといいます。

朝早くから沼津まで行って、ロードショー3本立てを観て帰ってくる生活をしていましたが、3本とも映画が面白くないことがあり、時間をかけて行っていたため腹が立ち、こんな映画なら自分で作れると思ったそうです。

調べてみると成蹊高校に映画を作るクラブがあることがわかり、母親に頼んで東京の成蹊高校に進学。

1981年、高校3年生の時に制作した自主制作映画『教訓I』がぴあフィルムフェスティバルで上映されることになり、憧れの映画監督・岡本喜八監督にファンレターを送りました。

内容は監督の映画どれだけ好きかということと、自分も監督と同じ反戦映画を作って、今度上映されるのでもしよかったら観に来てきてください!というものでした。

利重剛が俳優になったきっかけは?

『岡本監督が役者やっといたほうがいいよって。これから絶対ね、有名な人が映画を撮る時代が来るから、俺みたいに15年も助監督やったって映画なんて撮れないから、役者になって有名になったら、それだけで映画を撮れるかもしれないから、やっときなって。』

引用 https://yokohama-sozokaiwai.jp/

岡本喜八監督はファンレターを見て、利重剛さんの映画を観に来てくれ、さらに監督から電話がかかってきて、

『面白かったよ、君の映画。一度遊びに来ない?』

と言われたといいます。

すぐ飛んで行くと、

『映画を一緒にやらないか』

といわれ、なんことか分からず、

『なんですか?』

と聞くと、

『これ一緒に脚本書いて、出演もして、空いてるときに助監督やればいんじゃない』

と言われたそうです。

その際に役者になることも勧められ、

『役者は監督より儲かるから、(映画は)自分の金で撮ったらいいよ。』

とも言われたといいます。

大学に入学しましたがすぐに中退して、岡本喜八監督の家に住み込み、脚本を書き、映画『近頃なぜかチャールストン』の準備をしたそうです。

利重剛 俳優デビュー後

1981年12月公開の岡本喜八さん監督映画『近頃なぜかチャールストン』で俳優デビュー。

利重剛さんは主演・共同脚本・助監督を務めました。

1983年には大河ドラマ『徳川家康』に出演。

豊臣秀頼 役を演じました。

以降は数々のドラマ、映画でバイプレーヤーとして活躍。

映画監督としても活動し、1989年10月公開の映画『ザジ ZAZIE』では監督・脚本を担当し、

第4回高崎映画祭・若手監督グランプリ

を受賞。

1995年12月公開の監督・脚本を務めた『BeRLiN』は、

日本映画監督協会新人賞

を受賞しました。

ドラマやジャックスカードのCM製作も手掛けています。

利重剛の結婚歴や妻は?

利重剛さんの結婚歴は2回。

最初の結婚は1990年。

28歳の頃でした。

妻は作家の鷺沢萠(さぎさわ めぐむ)さん。

年齢は6歳年下で、結婚時は22歳。

鷺沢萠さんは上智大学外国語学部在学中に文學界新人賞を当時最年少で受賞。

女子大生作家としてデビューしました。

離婚したは1991年。

結婚の翌年でした。

鷺沢萠さんは2004年4月に、35歳で自ら命を絶っています。

利重剛の再婚した妻は?

利重剛さんが再婚したのは2002年。

40歳の頃でした。

妻は元プリンセスプリンセスのキーボード担当の今野登茂子(こんの ともこ)さん。

1965年7月15日生まれで年齢は3歳年下。

今野登茂子も再婚のようです。

出会いは1999年。

NHKーBS210周年記念企画・立体生中継『中国敦煌シルクロードの旅』で共演したこと知り合い、意気投合し交際に発展し、結婚に至りました。

利重剛の子供は何人?

利重剛さんの子供は1人。

子供は娘です。

2004年5月に長女ののどかさんが誕生しました。

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