岐阜県出身の俳優・酒向芳さん。
生い立ち、経歴や高校・大学などの学歴は?
俳優になったきっかけは?
俳優で食べられるようになったのは50歳?
結婚歴や妻は?
子供はいる?
今回はのさんをリサーチしてみました。
酒向芳の学歴・生い立ち・経歴
名前 酒向芳(さこう よし)
生年月日 1958年11月15日
出身 岐阜県
身長 184cm
血液型 A型
所属 アニマ・エージェンシー
高校・・・多治見工業高校
大学・・・大学には進学していません
専門学校・多摩芸術学園
岐阜県多治見市出身。
5人兄弟の末っ子。
高校は多治見工業高校・窯業科を卒業。
多治見工業高校は、岐阜県多治見市陶元町にある男女共学の県立高校。
窯業科は1995年になくなっています。
現在の偏差値は43~47。
多治見市は窯業が盛んで、卒業生には人間国宝の陶芸家・鈴木藏さん、加藤卓男さんなどがいます。
俳優の酒井敏也さんや、ミュージシャンの清治さんも卒業生です。
高校卒業後は多摩芸術学園・演劇科に進学。
多摩芸術学園は過去にあった、多摩美術大学の関連学校で現在はありません。
同校で演劇を学び、卒業後は俳優を目指しました。
酒向芳が俳優になったきっかけは?
『演劇との出会いは小学校低学年の時。』
引用 https://www.dailyshincho.jp/
酒向芳さんの通っていた小学校に劇団が訪れて、上演しそれに感銘を受けたといいます。
作品の内容は全く覚えていないそうですが、主演の人がキラキラ光っていたといい、
『何だこ、れは!?』
『何だ、この人は!?』
と驚いたといいます。
その後、松田優作さんや中村雅俊さんが演じたテレビドラマに熱中し、高校3年生の進路を決める時、先生に進路を聞かれた際に、
『演劇の道に進みます』
と答え、多摩芸術学園で3年間、演劇を学びました。
酒向芳が俳優で食べられるようなったのは50歳?
酒向芳さんは多摩芸術学園を卒業後は、無名塾、文学座、青年座など有名劇団を受験しましたがすべて不合格。
舞台『上海バンスキング』を見て感動したことで、翌年にオンシアター自由劇場に入団。
『あんなに素晴らしい舞台を生む劇団が、こんなに大変なところなんだ』
オンシアター自由劇場に入団してみると、金がなく、食事をする時間もなく、家に帰れないなど大変なことに驚いたそうです。
楽器が弾けないと配役はされず、トロンボーンを買って地道に練習を重ね、次第に役をもらえるようになりましたが、劇団の方向性が徐々に変わっていったことで退団。
退団後は自分で劇団を旗揚げするなどもしましたが、食べてはいけず、20代かずっとアルバイトで生計を立てていました。
40代の時に劇作家・演出家の永井愛さん主宰の二兎社に参加しましたが、アルバイト生活は続いていました。
やっていたアルバイトは、解体作業の仕事や飲食店の皿洗い。
2001年に新国立劇場で上演された『こんにちは、母さん』に出演。
『その頃から、ようやく演劇だけで食えるようになってきました。もう50歳でしたね』
2018年8が公開の映画『検察側の罪人』で殺人事件の被疑者・松倉重生 役を演じ、その怪演が話題となり注目されました。
酒向芳の結婚歴や妻は?
酒向芳さんが結婚したのは2012年頃。
54歳の時です。
妻は女優。
現在も女優なのか、元女優なのかは不明でした。
年齢は23歳年下で、結婚時は31歳ぐらい。
妻は酒向芳さんの収入のない時、働いて家計を助けてくれたといいます。
酒向芳に子供はいる?
酒向芳さんに子供は1人いるようです。
子供は息子。
『妻と長男の3人暮らし。』
『長男は3歳半。「晩婚だったので」と照れるが、食器洗い、掃除、洗濯、長男の世話は酒向の担当。』
2018年9月のインタビューで、息子はが3歳半であること明かしています。
コメント