熊本県出身の演歌歌手・島津亜矢さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
デビューしたきっかけや歌怪獣の由来とは?
結婚歴や夫、子供は?
今回は演歌歌手の島津亜矢さんをリサーチしてみました。
島津亜矢の学歴・生い立ち・経歴
名前 島津亜矢
生年月日 1971年3月28日
出身 熊本県熊本市
身長 168cm
血液型 O型
所属 オフィス風
中学校・不明
高校・・不明
本名は島津 亜矢子(しまづ あやこ)。
父親、母親、4歳年上の姉の4人家族。
幼少期から歌が大好きで、14歳で歌手を目指して熊本から上京しているため、卒業した中学校は東京のようですが不明。
高校は堀越高校や日出高校との情報がありましたが、真偽は不明でした。
島津亜矢がデビューしたきっかけは?
母親が島津亜矢さんの産声を聞いた瞬間から、『この子を演歌歌手にしよう』と決め、3歳の頃から母親に厳しい演歌の英才教育を受け、歌を覚えられたないとトイレや押し入れに閉じ込められたそうです。
5歳の時から数々ののど自慢大会に出場して優勝し、大会主催者から出場を断られるようになり、ちびっ子のど自慢大会を引退した6歳の時には、優勝トロフィーは100本以上あったといい、地元では『天才少女』と呼ばれていたといいます。
幼少期から自分でも『歌手になるんだろうな』と思っていて、小学6年生の時には『絶対になる』とすでに決意していました。
13歳の時に『長崎歌謡祭』に熊本県代表として出場した際、テイチクレコードにスカウトされ、14歳で歌手を目指して単身上京。
島津亜矢さんが母親に『東京に行きたい』と言った時、
『まだまだ親元で勉強することはいっぱいある。もう少し先でもチャンスはあるのだから』
と上京には反対したそうですが、島津亜矢さんは、
『チャンスなんて何度もめぐってこない。今、行くしかない』
と説得して上京することなったといいます。
上京後は所属事務所の社長の家に居候し、作詞家の星野哲郎さんに弟子入り。
ホームシックになり、星野哲郎さんに泣き言をいうと、
『おまえの根性と、そのノドさえ腐らなければ、必ず何とかなる。とにかく前を向いて歩け』
と言われ、頑張ろうという気持ちになったといいます。
島津亜矢 デビュー後
1986年5月、15歳の時に『袴をはいた渡り鳥 』で演歌歌手デビュー。
芸名が本名の亜矢子から『亜矢』になったのは星野哲郎さんが、
『”亜矢子”より”亜矢ちゃん”の方が親しみやすい』
とつけたそうです。
デビューしたタイミングで、母親がサポートのために、父親と姉を残して熊本から上京してきてくれたといいます。
デビュー後は長く下積みが続き、給料は5万円でしたが苦労はなかったと話しています。
初めて紅白歌合戦に出場したのは2001年、30歳の時で、2019年までで累計6回出場しています。
島津亜矢の歌怪獣の由来とは?
島津亜矢さんのニックネームは『歌怪獣』。
歌怪獣と名付けたのはマキタスポーツさんで、2015年に島津亜矢さんが紅白歌合戦に出場した際の歌唱の衝撃を受け、SNS上で『歌怪獣』と命名したことがきっかけでした。
その後はお互いのライブに出演するなどしているといいます。
島津亜矢の結婚歴や夫、子供は?
島津亜矢さんに結婚歴はなく独身で、夫、子供はいません。(2023年8月現在)
熱愛の報道や交際の噂もないようです。
2019年の紅白歌合戦で結婚式の定番ソングの『糸』を披露することになり、リハーサルの時に記者の歌詞にちなみ、『ご自身の人生の“縦の糸”は…』と聞かれると、
『今は見えないのですが、そのうち見えてくれればありがたいです。アハハ、もう50歳を前にしておりますが、今はとても幸せです』
とコメントしています。
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