新潟県出身の元バレーボール選手・川合俊一さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
現役時代の活躍は?
結婚歴や妻は?
子供はいる?
今回は元バレーボール選手の川合俊一さんをリサーチしてみました。
川合俊一の学歴・生い立ち・経歴
名前 川合俊一
生年月日 1963年2月3日
出身 新潟県糸魚川市
身長 195cm
血液型 A型
所属 ワタナベエンターテインメント
小学校・大田区立都南小学校
中学校・大田区立出雲中学校
高校・・明治大学付属中野高校
大学・・日本体育大学
新潟県糸魚川市で生まれ、8歳の時に家族で東京に引っ越しました。
父親は真面目な会社員でしたが、病気のため1ヶ月ほど休職すると降格になったといい、そのことで会社を退職し、東京に移り大田区でとんかつ屋を始めました。
小学校は大田区立都南小学校を卒業。
小学6年生の時には身長が150cmしかなかったそうで、ある日、父親が『子供をオリンピック選手にする』と言い出し、朝食時に牛乳を飲まされるなど家族総出で、身長を伸ばす計画が始まったそうです。
中学校は大田区立出雲中学校を卒業。
父親がバスケットボール選手たったので、バスケットボールをやらされ、その後、入学した出雲中学校がバレーボールが強かったのでバレーボール部に入部。
中学入学時は身長160cmでしたが、卒業時には183cmまで伸び、3年生の時には全国大会準優勝に輝き、数々の高校からスカウトが来たといいます。
高校は明治大学付属中野高校に進学。
明治大学付属中野高校は、東京都中野区東中野にある市立の男子校で、現在の偏差値は69。
強豪校からも誘われましたが、郊外に行きたくなかったため中野区の同高校を選んだそうです。
バスケットボール部は強かったそうですが、バレーボール部はそれほど強くなく、体育館は日曜の午前中しか使えず、それ以外は外で練習していたそうですが、全国ベスト8まで進出しています。
高校卒業後は、日本体育大学に進学。
大学在学中に全日本入りしました。
川合俊一の現役時代の活躍は?
1983年に翌年のロサンゼルス・オリンピック出場をかけたアジア選手権決勝の中国戦の途中出場し逆転勝利に貢献。
1984年ロサンゼルス・オリンピックには唯一の大学生で21歳のチーム最年少で出場し、結果は7位でした。
1985年に日本体育大学を卒業後は、富士フイルムに入社し、同学年で同じチームの熊田康則さん、日本鋼管の井上謙さんと共に『バレーボール界のビッグ3』と呼ばれ、同年の神戸ユニバーシアードでは7大会ぶりの金メダル獲得に貢献しました。
1988年ソウルオリンピックにも出場し、結果は10位でした。
1990年3月、富士フイルムを退社し、27歳でインドアバレーボールから引退。
その後はプロビーチバレーボール選手として参戦しました。
川合俊一 タレントとして活躍
1991年から日本テレビ『独占!!スポーツ情報』のキャスターを務め、8年間出演。
1996年4月からは読売テレビで放送開始の関西ローカルで朝の情報番組・『あさパラ!』にレギュラー出演し、2021年まで出演しました。
2001年4月からはフジテレビ系平日昼前の生活情報ワイド・バラエティ番組『こたえてちょーだい!』の司会を担当し、番組が終了した2007年3月まで出演。
バレーボール関連の活動では、2015年7月からトヨタ自動車ビーチバレーボール部のゼネラルマネージャーに就任、
2022年3月には日本バレーボール協会の会長に選任されました。
川合俊一の結婚歴や妻は?
川合俊一さんが結婚したのは1997年9月、34歳の時でした。
妻は女優の中野みゆきさん。
中野みゆきさんは1971年10月20日生まれで、年齢は8歳年下。
1986年に原宿でスカウトされ芸能界入りし、同年にTBS系ドラマ『お坊っチャマにはわかるまい!』でデビュー。
行きつけの寿司屋で出会い、帰りに送る際に連絡先を交換し、交際に発展。
約1年間の同棲生活を経て結婚したそうです。
妻の中野みゆきさんは結婚後は、仕事はしていないようです。
川合俊一の子供はいる?
川合俊一さんに子供がいるという情報はありませんでした。
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