静岡県出身の別所哲也さん。
生い立ち経歴や高校、大学などの学歴は?
俳優になったきっかけは?
結婚しているようですが妻は?
子供は何人?
今回は俳優の別所哲也さんをリサーチしてみました。
別所哲也の学歴・生い立ち・経歴
名前 別所哲也
生年月日 1965年8月31日
出身 静岡県
身長 186cm
所属 パシフィックボイス
小学校・島田市立島田第四小学校
中学校・島田市立島田第二中学校
高校・藤枝東高校
大学・慶應義塾大学
静岡県島田市生まれ。
父親は銀行員。
母親は美容室を経営。
両親には一度も勉強しろとは言われたことはなく、やりたいと思ったことは何でもやらせてくれたそうです。
習い事は珠算とピアノ。
文房具など欲しいものも理由があれば買ってもらえましたが、唯一許してもらえなかったのは中学3年生でのホームステイだったといいます。
幼い頃から『将来は海外で働きたい』という漠然とした思いがあったそうです。
小学校は島田市立島田第四小学校、中学校は島田市立島田第二中学校を卒業。
母親の親戚がサンフランシスコ在住で、時々絵葉書をもらったりしていたので、アメリカってどんなところなんだろうと興味を持ち、小学6年生の頃には叔父が持っていた英検一級の学習テープを意味はわからなくても素敵な呪文を聞くように楽しんでいたといいます。
中学ではバレボール部に所属。
高校は藤枝東高校を卒業。
藤枝東高校は静岡県藤枝市天王町にあり男女共学の県立高校。
現在の偏差値は66。
サッカー部が有名で全国高校サッカー選手権大会で複数回優勝しています。
高校でもバレーボール部に所属。
バレーボール部員は廊下で居合わせると、後輩は先輩と目を合わせてはいけないルールがあったといいます。
別所哲也さんはチームの中心選手で、国体の強化選手にも選出されています。
大学は慶應義塾大学法学部法律学科を卒業。
法学部の現在の偏差値は68。
法学部で法律を学ぼうと思ったのは社会のルールを学んでみたいと思ったからだといいます。
大学では『ESS(English Speaking Society)』という英語劇サークルに在籍しました。
別所哲也が俳優になったきっかけは?
『俳優を志すようになったのは、大学でESS(英語劇のサークル)に所属されたのがきっかけ』
引用 https://www.ny-onlinestore.com/
別所哲也さんは慶応大学入学後、『使える英語』を学ぶ目的ででサークルを選び、英語劇サークルの『ESS』に所属。
慶應大学の『ESS』はドラマ、ディベート、スピーチ、ディスカッションの4セクションに分かれていたそうですが、体を動かしたり、何か表現するのが好きだった別所哲也さんは、ドラマセクションを選択。
英語習得のために始めた英語劇でしたが、台本を読み込んで、ある人物像や社会背景を考えるという作業が新鮮に感じ、演技で自分の感情が動いたり、それを観てお客さんの表情が変わるのもおもしろかったそうです。
後悔をするくらいならちゃんと一度チャレンジしたいと思い、1、2年で芽が出なければ諦めると決めて、俳優の道に進むことを決意。
1987年、慶応大学在学中にミュージカル『ファンタスティックス』に主演し、俳優デビューしました。
別所哲也 ハリウッドデビュー
1987年8月、日本テレビ系刑事ドラマ『あぶない刑事』の43話に出演しドラマデビュー。
映画デビューは海外映画でした。
1990年7月公開の日米合作映画『クライシス2050』のオーディションに応募し合格。
唯一の日本人キャストとして出演しました。
ギャラは10万ドルで、当時1ドルが140円ぐらいだったので日本円で1400万円。
半分が所属事務所に入り、その中から事務所が支度金を用意してくれて撮影に参加したといいます。
撮影中は日常生活分の日当も45ドルくらい出たそうです。
日本での配給収入は約14億円でした。
翌年の1991年8月公開の映画『波の数だけ抱きしめて』で
第15回日本アカデミー賞・新人俳優賞
を受賞。
1996年11月公開の映画『大統領のクリスマスツリー』で映画初主演しました。
別所哲也 映画際を主宰
別所哲也さんは1999年に日本発の国際短篇映画祭『アメリカン・ショートショートフィルムフェスティバル』を主宰。
初年度はジョージ・ルーカス監督が南カリフォルニア大学時代に制作した短編映画『電子的迷宮/THX 1138 4EB』などを上映し注目を集め、2001年から『ショートショート フィルムフェスティバル (SSFF)』として開催。
2004年からはアジア発の新しい映像文化の発信、新進若手映像作家の育成目的から東京都との共催になり『ショートショート フィルムフェスティバル アジア (SSFF ASIA)』として開催されています。
別所哲也の結婚した妻は?
別所哲也さんが結婚したのは2009年。
43歳の時でした。
妻は日系アメリカ人の女性。
年齢は1歳年下。
出会いは20代前半で、ハリウッド映画の撮影の時の現地でのホストファミリーの娘でした。
ホストファミリーといっても後見人みたいなもので、別所哲也さんはそこに住んでいるわけではなく、風邪をひいた時の病院がわからないとか、和食が食べたいとか何か困った時にサポートをしてくれるファミリーだったといいます。
当時、妻は大学生で可愛い子だなとは思っていたものの、たまにしか会わなかったため意識することはなかったそうです。
その後、妻は大学を卒業し日本企業に就職し来日。
それから20年ほど友人関係が続き、37歳の頃に交際に発展し、結婚に至ったそうです。
37歳になった頃、美味しい物を食べた時に一緒に食べたいと思い浮かぶ人が妻だったといいます。
妻に告白すると『もう私はずっとその感じだった』、『あなたが鈍感だった』と言われたそうです。
別所哲也の子供は何人?
別所哲也さんの子供は1人のようです。
子供は娘。
2009年7月に誕生しました。
娘が生まれた時の体重はわずか1169gで、医師からは、
『1週間命が持たなかったら、それがこの子の命の長さだったと思ってください』
と宣告され、生後3ヶ月はNICU(新生児集中治療室)に入っていたそうです。
極端に言うと視力がないかもしれない、1歳過ぎても突然死してしまう確率がこれぐらいあるなどの説明もされたといいます。
しかし、何の後遺症はなく育ち、娘が3歳になった時に披露宴をしたそうです
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