仮面ライダークウガでブレイクした俳優のオダギリジョーさんの経歴や高校、大学などの学歴は?
監督としても活動しています。
妻の香椎由宇さんとの馴れ初めや子供は?
今回は俳優のオダギリジョーさんについてリサーチしてみました。
オダギリジョーの学歴・生い立ち・経歴
名前 オダギリジョー
生年月日 1976年2月16日
出身 岡山県津山市
身長 178cm
血液型 O型
所属 鈍牛倶楽部
父親と母親の3人家族で兄弟はなく、一人っ子。
両親は幼い頃に離婚、母親に引き取られ母子家庭で育ち、母親が働いている時には近所の映画館に預けられていたそうで、そのことが映画を好きなるきっかけになったといいます。
小学校は津山市立東小学校、中学校は津山市立北陵中学校を卒業。
小学校は他の小学校に入学しましたが、6年生の時に東小学校に転校、転校先の東小学校の同級生にはお笑いコンビ・次長課長の河本準一さんがいました。
小学生の時にサッカーを始め、中学時代はサッカー部に所属。
高校は作陽高校に進学。
岡山県倉敷市玉島八島にある男女共学の私立高校で、偏差値は37~57。
サッカーの強豪校で知られ、多くのプロサッカー選手を輩出しています。
大学受験では高知大学理工学部を(偏差値52)受験し合格。
高知大学を選んだのは、坂本龍馬が好きだったからだといいます。
入学金を支払う寸前に母親に、『留学したい』と頼むと『やりたいことをやった方がいい』と応援をしてくれ、1年間大阪の外国語学校に通って英語を学び、カリフォルニア州立大学フレズノ校に入学。
映画監督養成コースを志望していましたが、願書の記入ミスで、俳優養成コースに進むことになり、演劇を専攻。
2年間演技を学び、大学を休学して帰国。
後に大学は中退しました。
オダギリジョー 仮面ライダークウガでブレイク
1999年に舞台『DREAM OF PASSION』で俳優デビュー。
23歳の時でした。
翌年の2000年には『仮面ライダークウガ』(テレビ朝日)でドラマは初主演しブレイク。
当時のオダギリさんは『尖っていた』といい、特撮ドラマに出演するのは不本意で、オーデションで自分なりの変身ポーズを求めらても『自分が俳優の勉強をしているのは、ヒーローになるためではない』と拒否したほどでしたが、プロデューサーに個性を認められ合格。
若手の頃にはインタビューの聞き手を自ら指名したり、質問してもちゃんと答えてくれなかったり、原稿も本人が確認し朱字を入れていたりしていたそうですが、結婚し30歳を過ぎると言動が変化し、、
『役者としての信念より、大事なものがある。結局仕事は仕事。“使いやすい役者”になる』
と言うようになったそうです。
2003年、『アカルイミライ』で映画初主演を果たし、同年の『あずみ』で、
第27日本アカデミー賞・新人俳優賞
2004年公開の『血と骨』では
第28日本アカデミー賞・最優秀助演男優賞
を受賞し、2006年公開の主演映画『ゆれる』では
第30回日本アカデミー賞・優秀主演男優賞
を受賞しました。
同年にドラマ『時効警察』(テレビ朝日)で主演を務めました。
監督としても活動
2003年には短編映画『バナナの皮』の監督を務め、2007年にはドラマ『帰ってきた時効警察 第八話』の監督を担当しました。
2009年に監督を務めた映画『さくらな人たち』は第38回ロッテルダム国際映画祭に出品。
2019年には『ある船頭の話』で長編映画監督デビュー。
2021年にはNHKドラマ『オリバーな犬、 (Gosh!!) このヤロウ』の脚本・演出・編集を担当し、2022年にはシーズン2が制作されました。
オダギリジョーと妻の香椎由宇の馴れ初めは?
オダギリジョーさんと香椎由宇さんが結婚したのは、2008年2月。
オダギリさんは31歳、11歳年下の香椎さんは20歳でした。
馴れ初めは、2006に年公開されたオダギリさんの主演映画『パビリオン山椒魚』での共演でした。
オダギリさんはレントゲン技師役で、香椎さんは女子高校生役、映画公開時はオダギリさん29歳、香椎さんは18歳でした。
オダギリさん出会った頃の香椎さんについて、
『若い女優さんなのに、周りに媚びることなくカッコいいコだなと思っていた』
と話し、撮影を通して交際をスタート。
交際当初は香椎さんは10代で実家暮らし、門限は10時だったといい、オダギリさんが門限を守ってくれたことに好感を持ったといいます。
2人の誕生日は同じ2月16日で、2人の誕生日の2008年2月16日に入籍しました。
オダギリジョーの子供は何人?
オダギリジョーさんと香椎由宇さんの子供は息子が3人。
長男が2011年、次男が2014年、三男が2016年に誕生しました。
次男は1歳の時に絞扼性レウス(腸閉塞)のため亡くなっています。
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