稲垣潤一の結婚や妻・子供は?高校、大学などの学歴や経歴

「クリスマスキャロルの頃には」などのヒット曲を持つ稲垣潤一さんの経歴や高校、大学などの学歴は?

デビューしたきっかけは?

結婚歴や妻、子供は?

今回は歌手の稲垣潤一さんをリサーチしてみました。

稲垣潤一の学歴・生い立ち・経歴

名前   稲垣潤一
生年月日 1953年7月9日
出身   宮城県仙台市宮城野区
身長   173cm
血液型  O型
所属   フジパシフィックミュージック

実家は榴ヶ岡駅近くの商店街で『いながき洋品店』という洋品店を営んでいました。

小学校は仙台市立榴岡小学校、中学校は仙台市立東華中学校を卒業。

両親は洋楽が好きで、稲垣潤一さんも幼少期から音楽に親しみ、小学生の時にはビートルズの曲を聴いてエレキギターの音にしびれたといいます。

ホウキなどでギターの真似をしていましたが、中学時代ににドラムを叩いてしっくりきたことから、3万円のドラムセットを3千円の10回払いで購入しドラムを始め、中学1年生の時にバンドを結成。

ドラムとヴォーカルを担当し、初めての演奏もドラムを叩きながら歌う、叩き語りでした。

高校は宮城県工業高校に進学。

宮城県仙台市青葉区米ヶ袋三丁目にある男女共学の県立高校で、偏差値は48~54。

高校時代はバンド活動に熱中しました。

高校卒業後は大学などには進学せず、一旦就職しましたが、初出勤の日に仙台で有名だったバンド『ロングイヤーズアフター』のメンバーだった友人から、電話をもらいバンドを抜けたドラマーの後任を務めることになり、就職した会社は1日で退職しました。

稲垣潤一がデビューしたきっかけは?

バンド『ロングイヤーズアフター』は東京に進出しましたが間もなく解散。

解散後は地元仙台に戻り、アルバイトをしながらバンド活動を始め、クラブやキャバレー、ビアガーデンなど仙台市内のいろんな店で演奏。

一時期は東京や神奈川で米軍キャンプを回ったりしていたといいます。

稲垣さんの歌声は知られるようになり、9年目に東京から来た音楽関係者に仙台市内のレストランでスカウトされ、デビューが決定しました。

稲垣潤一 デビュー後

1982年1月、28歳の時に『シングル雨のリグレット』でデビュー。

翌年の1982年10月に発売した3枚目の『ドラマティック・レイン』がオリコンチャート8位にランクイン。

1986年3月の6枚目のアルバム『REALISTIC』が初の1位となり、翌年の1987年には第38回紅白歌合戦に出場。

アルバムは1989年4月の『HEART & SOUL』まで4枚連続1位を獲得しました。

代表曲の『クリスマスキャロルの頃には』が発売れたのは1992年10月。

TBSのドラマ『ホームワーク』主題歌に採用され、累計で約170万枚売り上げました。

1999年公開の映画『アイ・ラヴ・ユー』では音楽監修も務め、主題歌・挿入歌を担当しました。

稲垣潤一の結婚歴や妻、子供は?

稲垣潤一さんの結婚歴は2度です。

仙台時代の下積み時代を支えた女性と結婚し、30年間連れ添いましたが、2006年に死別。

その後、2009年に10歳年下の、フリーで仕事をしている女性と再婚しています。

子供はいるという情報もありましが、稲垣さん自身が子供にについて語ったことはなく、子供の有無は不明でした。

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