フランス語が話せる俳優の長塚京三さんの学歴や経歴は?
フランス映画で俳優デビューしたきっかけや、日本で俳優を始めたきっかけは?
結婚歴や元妻や再婚した妻は?
子供は息子で俳優の長塚圭史さん。
今回は俳優の長塚京三さんをリサーチしてみました。
目次
長塚京三の学歴・経歴
名前 長塚京三
生年月日 1945年7月6日
出身 東京都世田谷区
身長 181cm
血液型 O型
所属 長塚京三オフィス
父親、母親、の3人家族で、兄弟はいません。
父親は自動車工場で働き、終戦の約1ヶ月前に誕生しました。
幼少期の世田谷区はまだ田んぼや畑が多く、遊んでいたの雑木林や等々力渓谷でした。
3歳の頃から映画好きの父親に、映画館に連れてってもらい、字幕は読めませんでしたが洋画をよく観ていたといいます。
小学校は世田谷区立八幡小学校、中学校は世田谷区立奥沢中学校を卒業。
出身高校は不明ですが、大学は早稲田大学・第一文学部演劇科に進学。
大学では演劇サークルの『劇団木霊』に所属していましたが、裏方の大道具、音響などが楽しく、芝居はあまりしていませんでした。
大学在学中は学生運動が盛んで、長塚さんは興味が全くありませんでいたが、大学紛争でロックアウトになり、学校に入れなくなったことから大学は4年で中退。
その後はフランス後を勉強し、1969年からフランス・パリのソルボンヌ大学に留学。
現地ではフランス語を勉強しながら、アルバイトで通訳をしていました。
通訳の仕事でアルジェリアに行き、1ヶ月ほど石油コンビナートをつくる日本人の技術者の通訳を務めたこともあったといいます。
留学中にフランス映画で俳優デビューしました。
長塚京三が俳優になったきっかけは?
大学は文学部演劇科に入りましたが俳優になりたかったわけではなく、希望は文学部で、他の大学の文学部にも合格し入ろうと思っていましたが、最後に早稲田の文学部演劇科に合格したので、まともな文学部より面白いかなと思って入学したそうです。
しかし、入ってみると普通の文学部でがっかりし、サークルの学生劇団『劇団木霊』での活動が楽しく熱中したといいます。
大学が大学紛争でロックダウンし、校内にあった稽古場にも入れなくなったことから大学は退学。
『あんまり深い根拠はないですね。とにかく日本じゃないところに行きたかった。何をするかとかは特になくね。』
フランスのソルボンヌ大学に留学しましたが、フランスだったことにあまり理由はなかったといいます。
フランス語を習っていた先生が、映画関係者の知り合いに
『今度中国人役の出る映画をつくるのだけど、誰かいい人を知らないか』
相談を受け長塚さんを紹介したことで、フランスで映画デビュー。
当初は『やだな』と思っていましたが、せっかく誘ってもらったし、オーディションは行くだけ行ってみようと受けてみると、その場で合格し、1974年公開のフランス映画『パリの中国人 Les Chinois a Paris』で俳優デビューしました。
その後、映画『マイラブToute une vie』にもワンシーンだけ出演しましたが、俳優になろうとは思わず、いい経験をしたくらいの感覚だったそうです。
長塚京三が日本でデビューしたきっかけは?
1974年の夏休みに就職のことを考えて、一時帰国すると、日本で映画『パリの中国人』に出たことが新聞や週刊誌に取り上げられてニュースになっていたといいます。
それを見たTBSのプロデューサーがドラマにキャスティングしようと長塚さんをあちこち電話するなどして探し、友人を飲んでいた長塚さんを見つけ、酔っ払ったまま夜中にプロデューサーに会い、オファーされ『もう撮影が始まる』と言われ、流されるまま出演が決定。
1974年10月から放送された『樹氷』(TBS)でドラマデビューしました。
当時、29歳でした。
8月に帰国し、9月には撮影が始まったそうです。
サントリーウイスキーのCMでブレイク
デビュー後は、エリートの悪役や恋敵などのを多く演じ、1995年に出演したサントリーオールドのCM出演をきっかけにブレイク。
1996年からは『ナースのお仕事』(フジテレビ)の沢田俊介先生役で人気を集め、1997年のドラマ『理想の上司』(TBS)では主演を務めました。
同年に公開された主演映画『瀬戸内ムーンライト・セレナーデ』では、
第21回日本アカデミー賞・優秀主演男優賞
を受賞しました。
長塚京三の結婚歴や元妻は
長塚京三さんの結婚歴は2回で、最初の結婚は時期は不明。
2人の子供に恵まれましたが、1982年、37歳の頃に離婚しました。
長塚京三の再婚した妻
再婚したは2009年10月、64歳の時でした。
妻は個人事務所のマネージャーを務めていた、同年齢の女性。
妻とは20年来の交流があり、結婚の6年前からマネージャーとなり、2年前から同居をしていました。
長塚京三の子供は息子
長塚京三さんの子供は娘と息子の2人。
息子は1975年5月9日に誕生した、長塚圭史さんで、早稲田大学在学中の1996年に、演劇プロデュースユニット『阿佐ヶ谷スパイダース』を結成。主宰としてほぼ全ての作品の作・演出を手がけ2017年に劇団化。
演出家・劇作家として活動しながら、ドラマ、映画で俳優としても活動しています。
長塚京三さんが再婚した2009年10月、同じ月に女優の常盤貴子さんを結婚しています。、
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