福岡県出身の松重豊さん。
経歴や高校、大学などの学歴は?
結婚しているようですが、妻どんな人?
子供は息子と娘?
今回は俳優の松重豊さんをリサーチしてみました。
松重豊の高校、大学などの学歴・経歴
名前 松重豊
生年月日 1963年1月19日
出身 福岡県福岡市
身長 188cm
所属 ザズウ
中学校・福岡市立香椎第二中学校
高校・西南学院高校
大学・明治大学文学部文学科
長崎県生まれ、幼少期に福岡県福岡市東区に移り福岡市で育ちました。
兄弟はなく、ひとりっ子。
子供の頃は九州各地を転々とし、小学校3回中学校2回と転校しているそうです。
身長の高い松重豊さんですが、子供の頃から背が高く、中学生の時には180cm以上あったといいます。
中学校では柔道部に所属。
中学時代に友達が持っていたセックス・ピストルズのレコードを聴き、パンクロックなどの激しい音楽を聴き始めたそうです。
高校は西南学院高校に進学。
西南学院高校は福岡県福岡にある男女共学の私立高校。
キリスト教系の高校で偏差値は70。
福岡県内ではトップ10に入る難関高校です。
高校時代も柔道部に所属。
柔道が強い学校ではなかったそうですが、二段の腕前で、得意技は「払腰」だったそうです。
大学は1982年4月に、明治大学文学部文学科に進学。
明治大学で演劇学を専攻しました。
1986年3月、大学を卒業。
松重豊が俳優になったきっかけ
松重豊さんが高校生の頃、パンクロックブームがあり、福岡市出身の石井聰亙(現在は石井岳龍)監督が福岡のバンドを使って撮影した映画を観て面白いと思い、映画に興味を持ったそうです。
東京に出なければ始まらない気がして、大学は明治大学に進学し演劇学を専攻。
当初は映画や演劇を製作する側を目指していましが、唐十郎さんの『状況劇場』や寺山修司さんの『天井桟敷』などのアングラ劇団を観たことで衝撃を受け、今ある価値観を壊してくれる作品に触れたといい、芝居をはじめました。
1983年、新宿にあった小劇場『スペースデン』にて初舞台。
大学在学中には三谷幸喜さんがが主宰していた東京サンシャインボーイズの作品にも参加していました。
松重豊のブレイクまで
松重豊さんは大学卒業後、蜷川幸雄が主宰する劇団『蜷川スタジオ』に入団。
1989年に退団後は、フリーで活動していました。
『商業演劇は僕にとって刺激的でもなかったんで、20代半ばで芝居に関わることはリセットしたんです』
20代で1年半くらい、テントの設営するテント職人として正社員で働いていました。
その後、27歳の頃、『蜷川スタジオ』で同僚だった勝村政信さんや所属事務所・ザズウ社長の松野恵美子さんに激励されて復帰。
俳優に戻った後はすぐに仕事に恵まれたわけではなく、ずっとアルバイトが続く生活で、40代の前半ぐらいまでは、常に自分の中に『いつ辞めようか』というか、廃業が頭の片隅にあったと話しています。
30代の頃、アルバイトをせずに俳優だけで食べていきたいと事務所の社長に相談し、年間6~8本の舞台を掛け持ち。
この時は体はボロボロになり、血尿が止まらなかったといいます。
34歳の時に大河ドラマ『毛利元就』に吉川元春役に抜擢され出演したことで、徐々にドラマや映画の映像の仕事が増えてきたそうです。
2007年5月公開の映画『しゃべれども しゃべれども』で
第62回 毎日映画コンクール 助演男優賞
を受賞。
「バイプレーヤー」として名を挙げていき、2012年1月から放送されたテレビ東京系ドラマ『孤独のグルメ』で主人公・井之頭五郎 役を演じブレイクしました。
松重豊さんは当時、49歳でした。
松重豊の妻は?
松重豊さんが結婚したの1989年頃で26歳の頃。
2019年に『徹子の部屋』出演した際に『結婚は30年ですかね。』と話しています。
妻は一般女性。
知り合ったのは大学の時で、大学が別の大学だったといいます。
大学の友人が開いた飲み会で出会ったそうです。
4年間の同棲を経て結婚しました。
松重豊の子供は息子と娘
松重豊さんの子供は2人。
娘と息子です。
長女が1994年
長男が1996年
に生まれたようです。
長女は映像関係の会社に勤めているようです。
長男は立教大学卒業後、TBSラジオに就職しディレクターを務めています。
大学時代にふわっとした気持ちでアナウンサーを目指し、アナウンススクールに通い、就職試験ではキー局すべて不採用。
ラジオ局はニッポン放送とTBSラジオを受け、受かったのがTBSラジオだったと話しています。
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