東京都出身の伍代夏子さん。
経歴や高校などの学歴は?
夫は杉良太郎さんですが馴れ初めは?
子供はいるのでしょうか?
今回は歌手の伍代夏子さんをリサーチしてみました。
伍代夏子の学歴・経歴
名前 伍代夏子
生年月日 1961年12月18日
出身 東京都
身長 160cm
所属 ソニー・ミュージックダイレクト
小学校・富谷小学校
中学校・上原中学校
高校・鴎友学園女子高校
大学・大学には進学していません。
東京都渋谷区出身。
出世名は中川輝美。
実家は代々木八幡の井ノ頭通りの水道道路商店街で、道路拡張による区画整理まで魚屋を経営していました。
伍代夏子さんは物心ついたころから歌が大好きでした。
子供の頃はアイドル歌手が全盛の時代でしたが、何故か伍代夏子さんは演歌が好きで友達からも変わっていると言われていたそうです。
特に八代亜紀さんが大好きで、大人になったら演歌歌手になると思い込んでいたといいます。
しかし、性格は引っ込み思案で人前で何かやるのは大嫌い。
家族にも歌うの見られるの嫌で、いつも押し入れの中の布団をかぶって歌っていたんだとか。
小学校は渋谷区立富谷小学校、中学校は渋谷区立上原中学校を卒業。
中学では卓球部に所属。
中学時代には『スター誕生』に応募しようとハガキを書いたそうですが、大勢の人の前で歌うことを考えると無理だと思い、結局ハガキは出せなかったそうです。
高校は鴎友学園女子高校に進学。
鴎友(おうゆう)学園女子高校は走京都世田谷区にある私立の女子校。
1995年からは完全中高一貫制ですが、伍代夏子さんの時代は高校から受験できました。
現在は東大合格者も出る進学校です。
伍代夏子が歌手になったきっかけ
伍代夏子さんが歌手になったきっかけはスカウトです。
歌手としてのスカウトではなくモデルとしてのスカウトでした。
伍代夏子さんは高校1年生の15歳の時に、渋谷パルコ前でスカウトらしき人に遭遇。
スカウトされようとその人の前を通り過ぎてみましたがスルーされたそうです。
その後、あきらめずにその人の前を何度も往復し最後には声をかけてもらったそうです。
『ノリのいい友人と一緒にあきらめずに30往復、これでもかというくらい行き来してみたのね。そうしたら、さすがに気の毒に思ったのか、しぶしぶ名刺をくれたのよ。』
引用 https://www.goldenlife.jp/
名刺を見ると有名な大手モデル事務所で、すぐに友人と事務所に押しかけて所属。
そこの事務所でモデルをしながらボイストレーナーを紹介してもらい、レコード会社のレッスン生になり歌手への道が開けました。
伍代夏子 デビュー後からヒットまで
伍代夏子さんは1982年7月、星ひろみの名前で『恋の家なき子』でデビュー。
キャバレーやスナックなどでキャンペーン活動をしましたが全く売れませんでした。
夜の店を回るキャンペーンはつらかったと話しています。
『スナックのようなところで酔客相手に歌って、レコードを買ってもらえるようフロアを回ってお酌のサービスをするの。この年になればどうってことないけど、まだ18~19歳の女の子には酷な仕事だったと思う。』
引用 https://www.goldenlife.jp/
1985年4月、加川有希の名前でプロ野球選手だった平松政次さんとのデュエット曲『夜明けまでヨコハマ』を発売。
1986年7月、当時の本名の中川輝美で『夢きずな』を発売。
1987年9月、伍代夏子として『戻り川』で再デビューしました。
同曲は40万枚の大ヒットとなり、翌年の1988年に日本有線大賞・最優秀新人賞を受賞。
1990年5月、伍代夏子として3枚目のシングル『忍ぶ雨』も40万枚を超す大ヒットとなり、同年末の『第41回NHK紅白歌合戦』を果たし人気演歌歌手となりました。
。
以降、2015年までに紅白歌合戦に22回出場しました。
伍代夏子と夫の杉良太郎の馴れ初めは?
伍代夏子さんが杉良太郎さんと結婚したのは1999年12月。
38歳の時でした。
杉良太郎さんは17歳年上で55歳でした。
伍代夏子さんは初婚ですが、杉良太郎さんは離婚歴があり再婚でした。
馴れ初めは伍代夏子さんが踊りの師匠に誘われて、杉良太郎さんの舞台公演を観にいったことだったといいます。
その日に楽屋に挨拶に行ったことで出会いました。
『知人を交えて会食をして、3度目にお会いした後から、いろいろなお話をさせていただくようになりました。』
引用 https://www.oricon.co.jp/
その後、交際に発展し交際期間約1ヶ月で電撃結婚しました、
伍代夏子の子供は?
伍代夏子さんと杉良太郎さんの間に子供はいないようです、
再婚杉良太郎さんには息子1人と娘が2人の3人の子供がいて、息子は俳優の山田純大さんです。
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