東京出身の女優・大空眞弓さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
女優になったきっかけは?
結婚歴や夫は?
子供は何人?
現在は石垣島に移住?
今回は女優のの大空眞弓さんをリサーチしてみました。
目次
大空眞弓の学歴・生い立ち・経歴
名前 大空眞弓
生年月日 1940年3月10日
出身 東京都
身長 153cm
所属 オフィスのいり
小学校・千代田区立九段小学校
中学校・白百合学園中学校
高校・白百合学園高校
大学・東洋音楽短期大学
東京都港区生まれ。
父親は貿易会社に勤務。
姉がいる2人姉妹。
1歳半の時、父親の仕事の関係で中国・北京に一家で渡りました。
終戦前に帰国し、母親の実家のある広島に移り住み、1945年8月に現在の広島市佐伯区で原爆に遭遇。
『割れたガラスがたくさん畳に突き刺さって、すさまじかった。』
引用 https://mainichi.jp/
光や音を見聞きした記憶は定かではないものの自宅の様子は覚えているといいます。
終戦後、父親が大分県別府市で家具の製造会社を始めたため転居。
その後、後父親が北京時代の人脈を活かし東京で貿易会社を設立したため小学校2年の時に東京に移り住みました。
小学校は千代田区立九段小学校を卒業。
中学、高校は白百合学園を卒業しました。
白百合学園中学校・高校は東京都千代田区九段北にある私立の女子校。
中高完全一貫制の学校で高校からは受験できませんが白百合学園高校は毎年、東大合格者を出す進学校です。
大学は東洋音楽短期大学声楽科に進学。
後に大学は中退し、女優の道に進みました。
大空眞弓が女優になったきっかけは?
大空眞弓さんが女優になったきっかけはスカウトでした。
大学時代に母親と歌舞伎を観に行った帰りに歌舞伎座の前でスカウトされました。
大学を中退し、1958年に新東宝に入社。
同年に映画『坊ちゃん天国』で女優デビューしました。
大空眞弓 女優デビュー後
1964年から公開された喜劇映画『駅前シリーズ』にヒロインとして出演。
テレビドラマでは1964年4月に前・後編に分けて放送されたTBS系ドラマ『愛と死をみつめて』に出演。
軟骨肉腫に冒され21年の生涯を閉じた大島みち子役を演じ、前編12.6%、後編16.9%と視聴率は高くはなかったですが、大きな反響を呼び、放送後1年間に4度も再放送されました。
その後はテレビドラマ、舞台を中心に活躍しました。
大空眞弓の結婚歴や夫は?
大空眞弓さんが結婚したのは1968年。
28歳の時でした。
夫は俳優の勝呂誉さん。
年齢は同い年。
勝呂誉さんは歌手としても活動、数々のクイズ番組で好成績を収めるなど知性派タレントとしても活躍。
『クイズタイムショック』では57人連続勝ち抜きという番組記録を作っています。
大空眞弓さんと勝呂誉さんの馴れ初めは1961年から放送されたドラマTBS系『青年の樹』での共演でした。
1982年に離婚。
結婚生活は14年でした。
大空眞弓の子供は何人?
大空眞弓さんの子供は1人のようです。
子供は息子。
1975年頃に誕生したようです。
2000年代には俳優をして活動してましたが、その後は大空眞弓さんが生活費を援助していたといいます。
大空眞弓の息子が逮捕
>大空眞弓の息子は2002年に覚醒剤取締法違反で逮捕。
保釈中に2度目の逮捕。
2004年4月、東京地裁で懲役2年6月、執行猶予5年(求刑懲役3年)の判決を言い渡されました。
執行猶予中の2003年10月に3度目の逮捕。
2008年6月には、1年4か月の実刑を下されました。
大空眞弓 現在は石垣島に移住
大空眞弓さんは2021年4月に石垣島に移住しました。
81歳の時でした。
『余生を穏やかな景色の中で過ごしたいというたっての願いから』
引用 https://fujinkoron.jp/
移住を具体的に考えるようになったのは70歳の頃だったといいます。
移住は息子夫婦も一緒にしたようです。
移住先に石垣島を選んだのは、沖縄が父親の出身地で親しみを抱いていたからだといいます。
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