個性派俳優の池田鉄洋さんは東京都出身。
経歴や高校、大学などの学歴は?
結婚しているようですが、嫁や子供は?
今回は俳優の池田鉄洋さんについてリサーチしてみました。
池田鉄洋の学歴・経歴
名前 池田鉄洋
生年月日 1970年10月31日
出身 東京都練馬区
身長 175cm
所属 ホリプロ
高校・元石川高校
大学・国学院大学
父親、母親、妹の4人家族。
父親は広告マン。
母親はスタイリスト。
父親は忙しく、遅くまで仕事で家に帰らず、子供の頃に遊んだりし記憶はないそうです。
母親は30代半ばから憧れていたスタイリストになり、池田鉄洋さんは母親の下積み時代から間近に見ていたといいます。
そんな両親は小学6年生のときに離婚。
当時の父親は池田鉄洋さんから見て、『母親が我慢している相手』でしかなく、母親を守らねばと思い、両親の離婚の話し合いには池田鉄洋さんも立ち会ったと話しています。
両親の離婚後は母親と妹の3人で生活しましたが、後に母親は再婚しました。
元石川高校は神奈川県横浜市にある男女共学の県立高校。
現在の偏差値は56
高校時代は剣道部に所属。
高校で応援団長を無理やりやらされ、応援団長をやっていたときに笑われ、そこで笑われる快感に目覚めてしまったといい、コメディ映画が大好きだったそうです。
コメディ映画好きがこうじて、映画間時をになりたいと思い、映画監督になるためにには、
『脚本家として脚光を浴び、映画監督になるのが映画を撮る為の最短距離なのでは?』
と考えていたといいます。
大学は国学院大学に進学。
大学の入学したその日に、映画研究会の部室にに行きましたが、『ここは違う』と思い、その足で演劇部(学生劇団)の勧誘ブースに行き入部しました。
池田鉄洋 俳優デビュー
池田鉄洋さんは大学で演劇部に入部し、
『ボク、脚本が書きたいんです!』
というと先輩から、
『一年は役者から。そういう決まり』
いわれたといいます。
池田鉄洋さんは子供の頃から目立つことが極端に苦手で。お金を入れて動く遊具なにも目立つから乗れなかったといい、そんな自分が役者なんてできるわけがないと思ったそうです。
しかし、ここで脚本を書くしかないと思い、そのためにはここで2年間耐えるしかないと腹をくくり役者を始めといいます。
1993年大学卒業後、1990年に国学院大学演劇研究会のメンバーによって旗揚げされた、劇団「猫のホテル」に参加。
舞台「ズビビ先生のニュー人生ゲーム」で役者デビュー
1998年、映画「毒婦マチルダ」で映画デビュー。
1999年、大河ドラマ「元禄繚乱」の潮田又之丞役でドラマデビュー。
2004年には劇団「猫のホテル」で劇団内でコントユニット「表現・さわやか」を結成し劇作家、演出家としても活動。
2005年放送のテレビ朝日系ドラマ「トリック 新作スペシャル」で電脳オタクの公安部の刑事・秋葉原人役を演じブレイクしました。
2006年にはフジテレビ系ドラマ「医龍 Team Medical Dragon」でクセのある長髪姿の外科医・木原毅彦を演じました。
2009年4月、毎日放送のドラマ「子育てプレイ」でテレビドラマ初脚本、初演出を担当。
2011年8月公開の映画「行け!男子高校演劇部」では初めて映画の脚本を手がけました。
2012年5月、約20年に渡り属していた劇団「猫のホテル」を退団。
コントユニット「表現・さわやか」での活動は続けました。
池田鉄洋の嫁は?
池田鉄洋さんが結婚したの2014年3月。
当時、43歳でした。
嫁は一般女性で30代半ばと報じられました。
身長は150cmくらいの小柄で、ガチャピンを美人にしたような女性だといいます。
馴れ初め・出会いは池田鉄洋さんの出演していた舞台。
嫁は舞台を見に来ていた観客だったそうで、池田鉄洋さんは一目惚れしたそうです。
座っていた席から、出演者の知り合いだと考え、聞き込みをしたとこと、野間口徹さんの知り合いだと判明。
紹介してもらい、1回目のデートでプロポーズし交際に発展。
交際期間1年で結婚に至りました。
池田鉄洋の子供は?
池田鉄洋さんの子供は2人の娘。
長女が2015年
次女が2018年
に生まれています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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