糸井重里の結婚歴や妻は?子供は何人?高校、大学などの学歴や経歴・生い立ち

群馬県出身のコピーライター・糸井重里さん。

生い立ち、経歴や高校・大学などの学歴は?

コピーライターになったきっかけは?

結婚歴や妻は?

子供は何人?

今回はのさんをリサーチしてみました。

糸井重里の学歴・生い立ち・経歴

名前   糸井重里
生年月日 1948年11月10日
出身   群馬県
身長   174cm
血液型  A型

 

糸井重里の学歴

小学校・前橋市立桃井小学校

中学校・前橋市立第一中学校

高校・・前橋高校

大学・・法政大学文学部(中退)

群馬県前橋市出身。

父親は司法書士。

生後間もなく両親は離婚し、父親に引き取られて祖母と育ちました。

小学校は前橋市立桃井小学校を卒業。

小学校3年生の時に父親が再婚。

小学校で母の日に赤いカーネーションが配られ、母親のいない子供には白いカーネーションが配られ、それが恥かしかったことから、父親の再婚は『特別じゃなくなること』の嬉しさがあったといいます。

ただ再婚後の母親との関係は、もう甘える年でもなかったことから難しかったそうです。

中学校は前橋市立第一中学校を卒業。

中学時代は生徒会に所属。

高校は前橋高校を卒業。

前橋高校は、群馬県前橋市下沖町にある男女共学の県立高校。

現在の偏差値は72。

群馬県内ではトップの進学校です。

高校時代はバンカラを気取り、天狗のような一本歯のゲタを履いて学校に登校。

ビートルズに影響され、バンドも組みボーカルを担当していました。

大学は法政大学文学部日本文学科に進学。

偏差値は62。

大学時代は学生運動に身を投じ、1年で5回逮捕され、1年で大学は中退しました。

糸井重里がコピーライターになったきっかけは?

『なんの根拠もないまま「おれはコピーライターというものになれるのかもしれない」と思ったんです。』

引用 https://newspicks.com/

糸井重里さんは大学中退後、会社に勤めることは考えられなかったそうです。

会社が怖かったといい、大学を中退した自分を会社に受け入れてもらえるとも思えなかったといいます。

最初からフリーで食べていける仕事を模索し、知人の薦めで『宣伝会議』のコピーライター養成講座に通いました。

糸井重里 コピーライターから会社社長

糸井重里さんは、1968年にデザイン事務所『サムシング』に就職。

20歳の頃でした。

翌年の1969年に栗田工業主宰のTVCFアイディア賞で銀賞、1971年には金賞を受賞。

しかし、1973年に『サムシング』が倒産。

そのままフリーランスとなりました。

1975年にジーンズブランド『WELDGIN』の、

『このジャンパーの良さがわからないなんて、とうさん、あなたは不幸な人だ!』

のコピーで東京コピーライターズクラブ新人賞受賞。

コピーライターとして脚光を浴び、CMなどでも活躍、代表作は

『くうねるあそぶ。』(日産セフィーロ)

『生ビールがあるじゃないか、あるじゃないか。』(キリン・ラガービール)

『いまのキミはピカピカに光って。』(ミノルタ MINOLTA X-7)

など。

1976年に漫画雑誌『ガロ』の編集者の南伸坊さんからの依頼で、糸井重里さんが原作、イラストレーター湯村輝彦さんが作画の『ペンギンごはん』シリーズを発表。

1978年、矢沢永吉さんの自伝本『成りあがり』の構成と編集を手掛け、同書はベストセラーを記録。

作詞家としても活動し、沢田研二さん、ピンクレディー、矢野顕子さんなど多くの歌手の作詞を手がけました。

1990年代にはテレビタレントとしても活躍。

1998年6月、『ほぼ日刊イトイ新聞』を創刊。

運営している株式会社ほぼ日は2019年には、社員85人で、4億円以上の純利益を上げています。

糸井重里の結婚歴や妻は?

糸井重里さんの結婚歴は2回。

最初の結婚は1981年。

33歳の頃でした。

妻は一般女性。

離婚したのは1993年でした。

糸井重里と再婚した妻は?

糸井重里さんが再婚したのは1993年。

45歳の頃でした。

妻は女優の樋口可南子さん。

年齢は10歳年下。

樋口可南子さんは女子美術大学在学中にの20歳の時にポーラテレビ小説『こおろぎ橋』で主演デビュー。

1980年に『戒厳令の夜』で映画に初出演し、

ゴールデン・アロー賞・新人賞

を受賞。

1988年公開の映画『恋はいつもアマンドピンク』で映画初主演。

2006年公開の映画『明日の記憶』では、若年性アルツハイマー病にかかる主人公の渡辺謙さん演じる佐伯雅行の妻・佐伯枝実子を演じ、

第30回日本アカデミー賞・優秀主演賞

を受賞しました。

近年はCMを中心に出演しています。

糸井重里と再婚した妻の馴れ初めは?

糸井重里さんと樋口可南子さんの馴れ初めは対談企画でした。

樋口可南子さんが1981年に篠山紀信さん撮影の写真集を発売。

この写真集の宣伝のため有名コピーラーターの糸井重里さんとの対談が企画され、出会いました。

1982年には2人の不倫が発覚。

同年6月に糸井重里さんは不倫を認め、

『弁解するつもりはない。女房も「誰にでもあること」とわかってくれてます。そういう女房を僕は選んだんです。離婚もありません。』

樋口可南子さんは、

『妻子ある人を好きになったんじゃありません。その人にたまたま家族がいただけ。』

とのコメントしました。

10年以上の不倫関係を続け、1993年に離婚成立後に結婚しました。

糸井重里の子供は何人?

糸井重里さんの子供は1人。

子供は娘。

前妻のとの子供です。

名前は池田あんださん。

1981年に誕生しました。

結婚して子供がいるようで、糸井重里さんが代表を務める株式会社ほぼ日の、2位株主になっています。

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