吉村作治の結婚歴や妻・子供は?エジプト考古学者になったきっかけや学歴・経歴

日本のエジプト考古学者の第一人者で、テレビのタレントとしても活躍している吉村作治さんの学歴・経歴や、エジプト考古学者になったきっかけは?
世界初のハイテク分析で注目されました。
結婚歴や妻、子供は?
今回はエジプト考古学者の吉村作治さんをリサーチしてみました。

吉村作治の学歴・生い立ち・経歴

名前   吉村作治
生年月日 1943年2月1日
出身   東京都新宿区
血液型  O型

父親、母親、妹の4人家族。両親は手描き友禅染の職人で、和服製作と直販を行い、実家には内弟子も一緒に暮らしていました。

父親は優しかったですが、母親は怖かったといい、立場は母親の方が強く、父親が逆らったのは見たことはなかったといいます。

小学校は中野区立丸山小学校を卒業。
小学生の頃はいじめられっ子で、いじめっ子が来ることはなかった図書室に毎日逃げ込んでいました。

中学校は東京学芸大学附属大泉中学校に進学。
東京都練馬区東大泉にあった国立中学校でしたが、2009年に閉校になりました。
受験して入学し、当時の競争率は30倍だったといいます。

高校は東京学芸大学附属高校に進学。
東京都世田谷区下馬にある男女共学の国立高校で、現在の偏差値は72。
高校時代は山岳部と演劇部に所属していました。

大学は早稲田大学・第一文学部(現文学部・)美術史学科に進学。

大学受験では東京大学を受験しましたが失敗。駿台予備校に入り、3年の浪人生活を送りましたが、4年連続で不合格でした。

模擬テストでは現役時代にBランクでしたが、浪人後は成績が上がりAランクになっていて、もう一度チャレンジしたい気持ちもありましたが、母親に、

『中学も高校も3年。予備校も3年間通ったのだから、もう浪人はやめなさい。4回も落とした東大の先生の言うことを聞けるの?』

と言われたことで、早稲田大学に入学することを決めました。

1964年に早稲田大学に入学し、1968年にはカイロ大学考古学部へ留学。

1969年に大学を卒業しました。

吉村作治がエジプト考古学者になったきっかけ

吉村作治さんがエジプトに行きたいと思ったのは小学生の時でした。

いじめられて図書室逃げ込んでいた時に、司書の女性の先生に本の相談をすると、

『人生は1回きり。だけれど も、伝記を読むと、成功したたくささん の人の人生がかいま見える。その中で、 いちばん面白そうだと思った人の人生 をやってみるのもいい』

とアドバイスをされ、小学4年生の時に出会ったのがイギリス人考古学者、ハワード・カーターの王墓発掘記『ツタンカーメン王のひみつ』でした。

この伝記を読み、「この人のような生き方ができたらいいな」と思い将来はエジプトで発掘することを決意。

先生に「エジプトで発掘したい」と相談すると、

『君が大学に入るころには、エジプトへ行けるかもしれないから、いい大学へ行き、考古学者になればいい』

といい高校、いい大学に入るために中学受験を進められ、先生のサポートもあり合格。

高校でもエジプトに行くこと前提に行動し、エジプトでヒッチハイクをすることを考えて、アラビア語と中国語を勉強。

部活は身体を鍛えるために山岳部、自分の意思を伝えるためにゼスチャーも必要だと考え、演劇部でパントマイムをやりました。

『もしも東大に行っていたら、どちらかの考古学を研究することになり、子どものころからの夢であるエジプト考古学者にはなれなかったでしょう。』

大学受験では4回東大に落ちましたが、後に当時の東大の考古学者の専門地域は中南米とギリシャだけだったことを知ったそうです。

早稲田大学にもエジプト考古学を研究している先生はいませんでしたが、早稲田は自由な校風で、総長に「やれるものならやってごらん」と言われ、当時、メソポタミアのシュメールの研究をしていた川村喜一講師に、

『エジプトの研究をしましょう』

とお願いすると承諾してくれ、エジプトの研究が始り、3年生の時には川村先生と学生5人で念願のエジプトに初めて行くことができました。

当時はアジアで初のエジプト考古調査隊だったといいます。

世界初の衛星写真分析などハイテクを導入

1968年にエジプト・カイロ大学考古学部へ留学し、1969年に大学を卒業後、早稲田大学エジプト調査隊として初の本格調査をルクソール西岸のマルカタ南遺跡で開始。

新参で無名の調査隊でしたが、5年という異例の早さでエジプト考古最高評議会から単独調査の認可おり、1974年にはアメンヘテプ3世の祭殿「魚の丘遺跡」を発見し一躍注目の的となりました。

1987年、早稲田大学人間科学部助教授となり、1996年に早稲田大学人間科学部教授に就任。

同年に世界初の人工衛星の画像解析を行い、場所を特定し「ダハシュール北遺跡」を発見。

2001年には世界2例目となる「クフ王の銘が入った彫像」を発見しました。

2010年には早稲田大学名誉教授となり、2015年4月からは福島県いわき市の東日本国際大学学長に就き、2021年4月には東日本国際大学総長に就任しました。

吉村作治の結婚歴や妻、子供は?

吉村作治さんの結婚歴は1度で、結婚したのは1967年、23歳の時でした。

妻は8歳年下のエジプト人女性で、エジプトのカイロ大学の留学時代に出会いました。

子供は息子が1人と娘が1人の2人が誕生してします。

しかし、後に離婚しました。

『吉村さんは結婚するとき、イスラム教徒になっていた。豚肉を材料とするチャーシューはイスラム教では禁忌の食べ物であり、奥さんはタブーを破った吉村さんのことを許せず、離婚に至ったというのである。』

エジプト人の約90%はスン ナ派のイスラム教徒です。

結婚後、吉村さんさんは研究と資金集めなどで飛び回り、家に戻るのはは年に20日程度で、家にいるのは1回に5日ほどだったといい、それを悪いと思い家族を日本に呼び、富士山、京都、熱海などに旅行に連れて行ったそうです。

熱海で滞在していたホテルで昼間にホテル内にラーメン店を見つけ、どうしても食べたくなり、夜に家族が寝静まった後に行ってラーメンを食べました。

しかし、チャーシューを食べたところ寝ていたと思っていた妻と息子が見ていて、妻が激怒しタクシーで帰り、その後、離婚したといいます。

その後、再婚はしていません。

コメント

タイトルとURLをコピーしました