東京都出身の実業家・君島十和子さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
芸能界入りしたきっかけは?
結婚や夫は?
子供は何人?
今回は元女優の君島十和子さんについてリサーチしてみました。
君島十和子の学歴・生い立ち・経歴
名前 君島十和子
生年月日 1966年5月30日
出身 東京都
身長 167cm
血液型 O型
小学校・日本女子大学附属豊明小学校
中学校・日本女子大学附属中学校
高校・・日本女子大学附属高校
大学・・大学には進学していません
東京都豊島区出身。
出生名は吉川十和子。
父親は会社を経営。
3人姉妹の長女。
幼い頃に普段はお化粧をしなかった母親がある日、口紅をつけたのを見て、その変化に驚き感動し化粧品やメイクに興味を持つようになったといいます。
幼稚園は日本女子大学附属豊明幼稚園に入園。
小学校は日本女子大学附属豊明小学校を卒業。
東京都文京区目白台にある私立の女子小学校。
2020年の志願者数は、募集人数287人に対して合格者55名でおおよそ倍率は5.2倍。
中学校は日本女子大学附属中学校、高校は日本女子大学附属高校を卒業。
日本女子大学附属中学校・高校は神奈川県川崎市多摩区西生田にある私立の女子校。
日本女子大学附属中学校の偏差値は62。
日本女子大学附属高校の偏差値は66。
高校時代は弦楽部に所属。
高校卒業後は大学などには進学せず、芸能界に進みました。
君島十和子が芸能界入りしたきっかけは?
『ずっと憧れていた宝塚歌劇団を受験する勇気が持てなかったことを心の奥で悔いていたんです。そこにチャンスが訪れて。やらない後悔より、チャレンジする後悔を選びたいなと。』
引用 https://toyokeizai.net/
君島十和子さんは中学時代から吉川十和子の名前で雑誌『mc Sister』にてモデル活動を開始。
高校時代には雑誌『週刊セブンティーン』にも2回掲載されました。
高校3年生の時に『’85JAL沖縄キャンペーンガール』に選出され、これががきっかけでスカウトされ芸能界入りしました。
君島十和子 デビュー後
1986年から『JJ』の専属モデルと活動。
1988年11月から放送されたNHKドラマ『新橋烏森口青春編』で女優デビュー。
1989年4月公開の映画『極道の妻たち 三代目姐』で映画デビュー。
以降、女優として映画・テレビ・舞台と幅広く活躍しました。
君島十和子の結婚や夫は?
君島十和子さんが結婚したのは1995年12月。
28歳の時でした。
夫は元皮膚科医師の君島誉幸(きみじま たかゆき)さん。
年齢は1歳年上。
結婚時は君島明と名乗っていましたが、君島家騒動の頃に戸籍名を君島誉幸に改めました。
『女性自身』さんのご紹介がなければ結婚はおろか、出会うことすらなかったはずです。
引用 https://jisin.jp/
当時、ファッションブランド『KIMIJIMA』の副社長を務めていた、後に夫になる君島誉幸さんが親交のあった女性自身の記者に相談したことがきっかけで出会いました。
『ブライダルコレクションのゲストモデルを探しているんです。誰かいい人いませんか』
記者が推薦したのが、当時、女優・吉川十和子として活躍していた君島十和子さんでした。
打ち合わせや採寸、仮縫いと何度か仕事で顔を合わせるうちに距離が縮まり、1995年5月に初デート。
プロポーズは初デートの翌月の6月でした。
1995年12月6日の婚約会見から2日後、君島誉幸さんが以前付き合った女性との間に婚外子がいたとの報道がされました。
しかし、婚約前にすべて聞いたうえで、それでもいっしょになりたいと決心し婚約していた君島十和子さんは結婚に踏み切り、結婚の翌月の1996年1月で芸能界を引退しました。
結婚後は夫が代表を務める君島インターナショナルのスーパーバイザーとして活動。
自らの化粧品ブランド『フェリーチェトワコ・コスメ』のプロデュースも行っています。
君島十和子の子供は何人?
君島十和子さんの子供は2人。
子供は2人とも娘です。
長女が1997年
次女が2001年
に誕生しました。
長女は日本女子大学附属高校卒業後、2014年に宝塚音楽学校入学に入学。
2016年、宝塚歌劇団に102期生として入団し、蘭世 惠翔(らんぜ けいと)の名前で活動しています。
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