平浩二の結婚歴や妻は?子供はいる?高校、大学などの学歴や経歴・生い立ち

長崎県出身の歌手・平浩二さん。

生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?

デビューしたきっかけは?

結婚歴や妻は?

子供はいる?

今回は歌手の平浩二さんをリサーチしてみました。

平浩二の学歴・生い立ち・経歴

名前   平浩二
生年月日 1949年1月23日
出身   長崎県佐世保市
所属   ナインプランニング

 

平浩二の学歴

小学校・佐世保市立広田小学校

中学校・佐世保市立花園中学校

高校・・佐世保工業高校

大学・・大学には進学していません

本名は平 頼敏(たいら よりとし)。

父親の職業は造船関係で、3人の姉と弟と妹がいる6人兄弟の長男。

幼少期は市営住宅で暮らし、中学生の時に一戸建てに引っ越しました。

小学校は佐世保市立広田小学校、中学校は佐世保市立花園中学校を卒業。

中学時代は吹奏楽部に所属して打楽器を担当。

高校は佐世保工業高校に進学。

佐世保工業高校は、長崎県佐世保市瀬戸越にある男女共学の県立高校。

現在の偏差値は52。

高校時代の吹奏楽部に入部。

部員が少なく音楽の先生もいなかったため、指揮者も担当しました。

柔道場にも通い、2年で初段を取得しました。

高校卒業後は、大阪の大手電機メーカーに就職し、寮生活をしていましたが、退職し歌手を目指しました。

平浩二がデビューしたきっかけは?

子供の頃に3人の姉たちが、当時人気だった橋幸夫さん、舟木一夫さん、西郷輝彦さんのファンだったことが影響し、平浩二さんも橋幸夫さんに憧れ、歌手を夢見るようになりました。

高校卒業後は大阪で就職し寮に住んでましたが、ギターが得意な寮仲間の弾き語りを聴いたことがきっかけで、歌手への夢が再燃。

父親に相談すると、長男でしたが父親は反対はせずに、作曲家の安藤実親さんに伝があったことから、父親も東京を訪れ子入りを頼んでくれたといいます。

会社は約半年で退職し上京。

安藤実親さんの内弟子となり、住み込みで身の回りの世話もしていたそうです。

半年後に外弟子となり、新大久保のアパートで一人暮らしを始め、ハワイアンバンドのボーカル見習いとなり、ステージで歌わせてもらったのが初仕事となりました。

平浩二 バス・ストップがヒット

貯めた給料でギターを購入しコードを覚え、銀座の大きなクラブのバンドボーイに転身。

近くのキャバレーや小さなクラブでギターの弾き語りをしてキャリアを積んでいました。

そんなある日、平浩二さんの歌の評判を聞きつけた音楽プロデューサーとプロダクションの社長がクラブを訪れ、本格的にデビューが決定しました。

1969年11月に『なぜ泣かす』をリリースし歌手デビュー。

20歳の時でした。

1970年10月にリリースした西田佐知子さんのカバー曲『女の意地』が35万枚売り上げ、自身初のヒット曲となりました。

1972年9月の『バス・ストップ』がオリコンでは11位ながら、NET(現在のテレビ朝日)のベスト30歌謡曲で『バス・ストップ』がテレビ放送されたことで広く世に知れ渡り、1972年~1973年の有線放送リクエストでは第1位を獲得。

累計売り上げ枚数はミリオンセラーに達しました。

シングルは2022年までで37枚リリースしています。

平浩二の結婚歴や妻は?

平浩二さんが結婚したのは1980年、31歳の時でした。

妻は一般女性の淑江さん。

年齢は6歳ぐらい年下。

平浩二さんが21歳の頃に、妻は中学3年生でラジオから流れてきた平浩二さんの『女の意地』を聴いて大ファンになったそうです。

後日に、平浩二さんが営業で訪れた、常磐ハワイアンセンターの楽屋に、その少女が母親と共に会いに来て出会いました。

その後、交流を経て結婚に至りました。

2018年3月にリリースした36枚目のシングル『最終便』。2022年12月の37枚目のシングル『愛する君にありがとう』は、TAKAKOの名義で妻の淑江さんが作詞しています。

平浩二に子供はいる?

平浩二さんの子供は息子がいるようです。

息子は2012年に結婚し、2023年4月に小学校に入学した孫もいるようです。

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