東京都出身の個性派俳優・六平直政さんの学歴や経歴は?
俳優デビューしたきかっけは?
結婚歴や妻は?子供は息子?
今回は俳優の六平直政さんをリサーチしてみました。
六平直政の学歴・経歴
名前 六平直政
生年月日 1954年4月10日
出身 東京都中野区
身長 175cm
血液型 B型
父親は高校の英語教師、兄弟は5歳年下でダウン症の弟がいましたが、40代で亡くなったことを明かしています。
祖父は東京大学卒業、父親は33代続く秋田県由利本荘市の超光寺という寺の長男として生まれましたが、弟に住職を譲り東北大学卒業後は東京で都立高校の英語教師になり、文芸雑誌にも関わっていたました。
付き合いは広く、教え子もよく訪ねて来ていたといいます。
4歳の時に中野区から武蔵野市に引っ越し、小学校は武蔵野市の小学校に入学。
小学生の時にはリトルリーグに所属し、絵も習っていました。
中学校は武蔵野市立第二中学校を卒業。
東京都武蔵野市桜堤にある公立中学校です。
中学時代は剣道部に所属。
勉強はよくしていたとい、成績も優秀でした。
高校は国立高校に進学。
東京都国立市東にある都立高校で、現在の偏差値は73。都立ではトップレベルの進学校。
高校時代美術部とサッカー部に所属していました。
進学校だったので東大受験も考えていましたが、高校3年生の時に「俺は何が好きなのか」と考え「物を作ることだ」と思い、美術の世界に進みたと思ったといいます。
美術の先生に相談し勧められた東京教育大学(現在の筑波大学)を受験したが、受験準備期間が短すぎて失敗。
1年間の浪人後に武蔵野美術大学の彫刻科と多摩美術大学のグラフィックデザイン科に合格し、武蔵野美術大学に進学。
大学時代はスキューバーダイビング部に所属。
『美人が集まってる部室があった。それがスキューバダイビングクラブだったのよ。男の部員が4名で、女は35名くらいいた。最高だったね』
部長を務めていた女性と10年近く交際し、結婚も考えていたこともあったといいます。
武蔵野美術大学には彫刻家・篠田守男さんに学びたく入りましたが、2年生の時に篠田さんが退職。
『俺は、先生に習おうと思って武蔵美に入ったのに、それじゃ、つっかえ棒を外されるようなもんだ』
八王子の篠田さんのアトリエを訪ね、弟子入りを懇願。最初は断られましたが、毎日通い弟子入りを許可されました。
大学在学中には当時の史上最年少で現代日本美術展に入選しています。
大学卒業後は武蔵野美術大学院彫刻コースに進学。
『武蔵美の主任教授に、「大学に来て、後輩に指導しろ」とか言われて。俺は、「学費を払ってる立場なのに、なんで俺が後輩を指導しなきゃいけないんだよ」って、大喧嘩して辞めちゃった。』
主任教授とケンカし、大学院は中退しました。
六平直政が俳優になったきっかけ
大学耳時代に交際していた女性が、唐十郎さんのファンでよく一緒に「状況劇場」芝居を観に行っていました。
それまでは芝居に興味はありませんしたが、観てみると面白くて興味を持ったといい、そんなある日、新聞の広告で状況劇場が役者・裏方を募集している広告を発見。
舞台美術をやってみたいと思い、彫刻の師匠の篠田さんに相談すると、
『ろっぺい君は大彫刻家になると思うけど、芸能の世界も向いてるんじゃない?』
と背中を押され応募しました。
状況劇団に入団
3000人の応募で30人合格とという100倍の倍率をくぐり抜けて合格し「状況劇場」に入団。
美大だったので舞台作りを期待されての合格で、セットも作り、芝居もしていました。
約9年間在籍しましたが、もらった給料は20万弱でしたが、楽しかったと話しています。
劇団東京乾電池に入団
アルバイトをしながら下積みを続けていた30代半ばに、原田芳雄さんさんの紹介で東京乾電池に移籍。
『下積みが続く六平を救ったのが共演者だった原田芳雄さん。ロケ先での飲み会で「六平ちゃんが、このままじゃ食えなくて死んじゃうぞ! お前のとこの劇団に入れてやれ!」と共演者だった劇団東京乾電池の柄本明に頼んでくれたそう。』
このことがきっかけで35歳の頃には生活が安定してきたといいます。
『とくに伊丹十三監督や深作欣二監督に可愛がってもらいました。不思議なもので、そういう有名な監督の映画に出ると、テレビ業界も“この役者は誰だろう”って目を向けるようになるんだよね。』
1990年には伊丹十三監督の『あげまん』に出演後、1992年の『ミンボーの女』にも出演。
同年公開の映画『シコふんじゃった。』にも出演し注目されました。
六平直政の結婚歴や妻
六平直政さんの結婚歴は1度のようです。
1985年、31歳の頃に一般女性と結婚。
馴れ初めは不明でしたが、妻はパタンナーだったとの情報もあり、売れない時期は妻に支えてもらったと話したことがあったようです。
六平直政の子供は息子?
子供は娘が1人と息子が2人の3人。
1991年1月16日に生まれた次男の六平光成さんは元プロサッカー選手。
前橋育英高校時代はU-18日本代表候補に選出され、中央大学時代の2010年にははU-19日本代表の主将を務めました。
中国でのAFC U-19選手権の時には、六平さんはの仕事を断って中国に行き、応援したといいます。
大学卒業後の2013年には清水エスパルスに入団し、2023年3月8日に現役引退を発表しました。
コメント