三重県出身の女優・夏樹陽子さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
女優になったきっかけは?
結婚歴や夫は?
子供はいる?
今回は女優の夏樹陽子さんについてリサーチしてみました。
夏樹陽子の学歴・生い立ち・経歴
名前 夏樹陽子
生年月日 1952年10月24日
出身 三重県
身長 198cm
血液型 A型
所属 有限会社アップル・ツリー
小学校・大阪市立平野小学校 三重県の小学校
中学校・小俣町立小俣中学校 犬山市立犬山中学校
高校・・犬山高校
大学・・杉野女子短期大学被服科
三重県伊勢市出身出身。
本名は藤井眞紀。
父親は会社員で転勤が多く、3歳まで三重県伊勢市で育ち、小学生の時は大阪府大阪市で生活しました。
住んでいたのは会社の社宅で、社宅の裏には大きなテニスコートがあったといいます。
兄弟は弟。
小学校は大阪市立平野小学校に通いましたが、6年生の3学期でまた三重県に引っ越しています。
中学校は小俣町立小俣中学校(現在は伊勢市)に入学しましたが、3年生の2学期で愛知県犬山市へ引っ越し、犬山市立犬山中学校を卒業。
高校は犬山高校を卒業。
犬山高校は愛知県犬山市大字犬山字北首塚にある男女共学の県立高校。
現在の偏差値は48。
高校時代は音楽部に所属。
『音楽が好きだったので本当は音大に行きたかったんでしけど、やっぱり家庭の事情とかあるじゃないですか。』
大学はて杉野女子短期大学被服科に進学。
現在の名称は杉野服飾大学短期大学部。
東京都品川区上大崎にある私立大学。
現在の偏差値は45。
大学入学後、18歳から23歳まで、土日にはピアノの先生をしていました。
大学在学中に、芸能活動を開始しました。
夏樹陽子が芸能界入りしたきっかけは?
『18歳のときに東京に出てきてモデルにスカウト』
引用 https://post.tv-asahi.co.jp/
夏樹陽子さんは短大に進学し上京後、短大1年生の時に目黒でスカウト。
『ただでモデルになるレッスンだけでも受けませんか?』
と声をかけられたそうです。
集に1回、2~3時間のウォーキングやメイクのレッスンを3ヶ月受け、ファッションモデルとなりました。
夏樹陽子 女優デビュー後
夏樹陽子さんはモデルデビュー後、手書きの名刺に写真を貼り初めてあった人に配るなど、印象を残す努力などもし、3年目には事務所の稼ぎ頭として活躍。
パルコ、丸井、レディーボーデンなどのCMにも出演しました。
『大勢いたりすると「はい、そこにモデル」という感じで名前も読んでもらえないんです』
事務所でトップモデルになっても年功序列で、事務所のパンフレットのトップになかなか掲載されず、演技のレッスンで、
『あなた向いてるわね』
と言われたこともあり、女優なら年をとっても役があるだろうと女優に転身。
1977年5月公開の映画『空手バカ一代』のヒロインで女優デビュー。
同年6月公開の映画『新・女囚さそり 特殊房X』では、梶芽衣子さん、多岐川裕美さんに続く三代目さそりを演じました。
1978年には、
エランドール賞・新人賞
を受賞しました。
1980年代以降はドラマを中心に出演。
1981年からドラマ『ザ・ハングマン』(テレビ朝日系)でハングマン第8号・タミー /桑野多美子役を演じました。
夏樹陽子の結婚歴や夫は?
夏樹陽子さんの結婚歴は2回、離婚歴も2回。
最初の結婚は1983年夏。
30歳の頃の結婚でした。
夫はギタリストの平野洋一さん。
年齢は2歳年下。
結婚後、夏樹陽子さんと平野洋一さんは事務所を設立し、平野洋一さんが社長に就任。
しかし、半年後に別居。
『結局、平野氏が夏樹の稼ぎをアテにして何もしなくなったのが最大の理由でした』
引用 https://weekly-jitsuwa.jp/
1984年に9ヶ月で離婚しました。
夏樹陽子の再婚した夫は?
夏樹陽子さんが再婚したのは離婚から2年後の1986年。
34歳の頃でした。
夫は実業家の山口義治さん。
年齢は16歳年上。
山口義治さんは大阪ミナミや芦屋でレストランやクラブを経営していました。
『相手(夫)に(別の女性との)子どもさんができていたんですよ』
1994年に離婚。
結婚生活は約8年、離婚時、夏樹陽子さんは42歳ぐらいでした。
夏樹陽子に子供はいる?
夏樹陽子さんに子供はいないようです。
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