東京都出身の雅楽師、作曲家・東儀秀さん
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
雅楽を始めたきっかけは?
結婚歴や妻は?
子供は何人?
今回は雅楽師で作曲家の東儀秀さんをリサーチしてみました。
東儀秀樹の学歴・生い立ち・経歴
名前 東儀秀樹
生年月日 1959年10月12日
出身 東京都
身長 177cm
血液型 B型
所属 矢島聰子事務所
小学校・世田谷区立八幡小学校
中学校・成蹊中学校
高校・・成蹊高校
大学・・国学院大学
父親、母親、姉の4人家族。
商社マンだった父親の仕事で、1歳から7歳まではタイ、中学生の時はメキシコで生活しました。
母方の東儀家家は、奈良時代から1300年以上代々続く雅楽の家系。
小学校は世田谷区立八幡小学校を卒業。
この頃は父親と同じサラリーマンになるんだろうと思っていたそうです。
中学校は成蹊中学校、高校は成蹊高校を卒業。
成蹊中学校・高校は、東京都武蔵野市吉祥寺北町にある男女共学の私立学校。
成蹊中学校の偏差値は66、成蹊高校の偏差値は70。
中学1年生から2年生にかけてはメキシコシティに住んでいました。
中学時代にはロックやジャズに夢中になり、高校時代にはロック系のバンドをいくつか組み、ギターをメインに担当し、バンドによっては、キーボードをやっていたり、ボーカルをやることもあったそうです。
高校2年生の時には音楽で生きていこうと思ったといいます。
大学は国学院大学・文学部二部神道学科に進学。
東京都渋谷区に本部がある私立大学で、偏差値は50。
『人生であれだけ勉強したことはないんじゃないですか。』
音楽で生きていくと決めていたため。勉強なんて必要ないと思っていいましたが、思いなおして大学受験しました。
青山学院大学や明治学院大学にも合格したそうですが、雅楽に関係する同大学に入ったそうです。
昼は音楽で、夜は大学のつもりで二部に進学しましたが、夜はライブなどで忙しくなり、大学は卒業できませんでした。
東儀秀樹が雅楽を始めたきっかけは?
『母親に「雅楽に目を向けてみれば」と言われたことがきっかけで、雅楽の道へ進むことになる。』
引用 https://ab.jcci.or.jp/
東義秀樹さんはタイで暮らしていた幼稚園のの時に、アメリカ人の子供の影響でビートルズを好きになり、ビートルズになりたくてギターをおもちゃとしておねだりすると、買ってくれたの本物のウクレレだったそうで、音楽に入るきっかけになったそうです。
中学、高校と音楽に夢中になり、音楽で生きていくと思っていた頃に、雅楽の家系の母親に勧められたことがきっかけで、雅楽を始めました。
東義家の人間でなけれ雅楽なんて『別に』って思ったかもしれないと話しています。
高校卒業後の18歳で、宮内庁の式部職楽部の楽生科で雅楽を学びました。
中学卒業して受験するのが普通で、高校卒業での受験は異例で18歳では無理と言われましたが、幸運にも欠員があり合格できたといいます。
先輩たちより年上で、生意気な言動で『もう来なくていい』と叱られたこともあったそうですが、成績はいつもトップだったそうです。
東儀秀樹 デビュー後
7年間、雅楽を学び、1986年、26歳から10年間、宮内庁で楽師として活躍。
1996年10月にアルバム『東儀秀樹』でデビュー。
37歳の時でした。
同年に宮内庁を退職し、フリーで音楽活動を始めました。
雅楽器だけでなく、ピアノ、キーボード、シンセサイザー、チェロ、ドラム、ギターなどさまざまな楽器も演奏。
映画、テレビ番組やCMにも楽曲を提供し、代表曲はNHK『新アジア発見』テーマ曲の『New ASIA』やリプトン『リプトン・ザ・ティー』CM曲『There must be an angel』など。
俳優としても活動しており、1998年8月公開の『Heavenz』で映画デビュー。
2001年8月から放送されたNHKドラマ『ルージュ』でドラマデビュー。
2008年の大河ドラマ『篤姫』では孝明天皇 役を演じました。
東儀秀樹の結婚歴や妻は?
東儀秀樹さんの妻は7歳年下の一般女性。
妻が元宝塚の男役・貴月あゆむさんの姉であることを公表しています。
東儀秀樹の子供は何人?
東儀秀樹さんの子供は息子が1人のようです。
2006年11月生まれで、名前は東儀典親(とうぎ のりちか)さん。
ギターをやっており、東儀秀樹さんのコンサートなどで共もしていているようです。
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