徳光和夫の妻は?子供は息子で何人?高校、大学などの学歴や経歴

東京都出身のフリーアナウンサー・徳光和夫さん。

高校、大学などの学歴や経歴は?

妻はどんな人なんでしょうか?

子供は息子で何人?

今回はフリーアナウンサーの徳光和夫さんをリサーチしてみました。

徳光和夫の学歴・経歴

名前   徳光和夫
生年月日 1941年3月3日
出身   東京都目黒区
身長   163cm
所属   Sony Music Artists

小学校・目黒区立菅刈小学校

中学校・目黒区立第一中学校

高校・海城高校

大学・立教大学

父親、母親、弟の4人家族。

父親の徳光寿雄さんは映画監督から、日テレ開局社員として入社し映画部で働き、外国映画を日本語吹替でテレビ放送することを発案した人物。

母親も映画好きで幼少期はよく映画館に連れられたといいます。

徳光和夫さんは3月3日生まれですが、戸籍上は3月10日になっています。

父親が『男児が雛祭り生まれでは格好が悪い』と1週間後の陸軍記念日の10日生まれにしたんだそうです。

徳光和夫さん小学生のときから落語に夢中。

ラジオで落語を聞いて覚えては学校で話していたといいます。

小学校は目黒区立菅刈小学校、中学は目黒区立第一中学校。

高校は海城高校に進学。

海城高校は東京都新宿区にある私立の男子校。

中学もあり、2011年に高校の生徒募集を停止し完全中高一貫校制になっています。

現在は偏差値は推定で70以上の進学校ですが、徳光和夫さんの時代は都立の滑り止めとして受ける高校だったようです。

高校時代は落語家を目指し、落語家の柳家小さん師匠の家まで押しかけ弟子入りを志願したこともあったといいます。

師匠には門前払いを食らい弟子入りは断られたそうです。

大学は立教大学に進学。

進学先に立教大学を選んだのは長島茂雄さんの影響。

高校生のときに、長島茂雄さんが東京六大学野球で当時にの新記録となる本塁打を打ち、嬉しさから小躍りしながら仲間と一緒にベースを回る姿を見て感化され、長島茂雄さんのいた立教大学受験を決めたそうです。

立教大学の全学部を受験し、辛うじて社会学部に補欠合格し入学。

ちなみに、徳光和夫さんと長島茂雄さんは5歳違いのため、同じ時期には大学には在籍していません。

大学入学後、大学野球を観戦するなら『応援団』だと考え入団。

しかし、応援団に入団してみると応援団はスタンドに向かって応援するため野球の試合が観られないことに気付き不満に思っていたところ、放送研究会がスタンドの最前列でテープレコーダーを持って取材などをしているのを見て、楽しそうと思い、放送研究会に入会。

放送研究会の後輩にはみのもんたさんがいました。

大学4年生のとき、就職に悩み先輩で文化放送のアナウンサーだった土居まさるさんに相談したところ『お前、アナウンサーになればいいじゃないか』とアドバイスされアナウンサーになることを決意しました。

徳光和夫 日本テレビ入社

徳光和夫さんは1963年に日本テレビに入社。

日本テレビには最終選考に残った2人の学生がが学生運動に関与していたことが判明し、選考を辞退した影響で徳光和夫さんがが採用され入社しました。

日本テレビ入社後は、アナウンサーとしてやりたかった野球中継ではなく、主にプロレス中継を担当。

その頃のプロレスは人気で視聴率も高かったそうですが、徳光和夫さんはプロレスが嫌だったと話しています。

当時は八百長騒ぎみたいなものがあり、レフェリーが見て見ないふりをして、外国人レスラーは凶器を持って戦うとうのが『あんなのは格闘技じゃない』という論調あったそうです。

プロレスを何年か担当し、ジャイアント馬場さんなどに出会ってプロレスへの偏見は無くなったといいます。

1969年10月から歌番組『NTV紅白歌のベストテン』の総合司会を務め、人気を獲得。

1974年10月からバラエティ番組『新・底ぬけ脱線ゲーム』の司会を務めました。

1979年3月から放送を開始した朝の情報番組『ズームイン!!朝!』では総合司会を9年間担当。

1980年からは『24時間テレビ』の総合司会を担当。

『24時間テレビ』はフリーアナウンサーになった後も2011年まで31年連続で総合司会を務めました。

1988年4月からは夕方のニュース・情報番組『NNNニュースプラス1』のメインキャスター担当。

徳光和夫 フリーアナウンサーに転身

徳光和夫さんは1989年日本テレビを退社しフリーアナウンサーにまりました。

徳光和夫さんが48歳のときでした。

徳光和夫さんは日本テレビ時代に、『ズームイン朝』から『プラス1』に担当番組が代わった頃から、バラエティ番組や情報番組をずっと担当していたため、自分はニュースキャスターは合わないと思うようになりったといいます。

同時に、アナウンス部副部長への管理職昇進の話が挙がり、

『役職が付けば、今まで全くやったことが無い事務的な仕事もしなければいけなくなるだろう』

『俺は事務職ではなく、現場で生きていきたい』

と思ったことがフリーアナウンサーに転身するきっかけになったそうです。

フリーアナウンサーに転身後はTYBS系の『クイズダービー』、テレビ東京系の『徳光のTVコロンブス』などをはじめ各局で多くの番組を担当し、さらに結婚式の司会等でも活動しています。

徳光和夫の妻は?

徳光和夫さんが結婚したは1966年1月。

25歳のころでした。

妻は一般女性の早苗さん。

妻の早苗さんは日本テレビの正面にあった喫茶店の看板娘で徳光和夫さんは一目惚れ。

先輩の口ぞえで交際に発展し、結婚に至ったそうです。

2021年8月にテレビ朝日系の『徹子の部屋』に出演した際に、妻とは結婚55周年で初期の認知症を患っていること明かしています。

徳光和夫子供は息子で何人?

徳光和夫さんの子供は2人。

2人とも息子です

長男が1966年

次男が1971年

に生まれています。

次男の徳光正行さんはタレント活動をしています。

2005年4月~2006年9月はTOKYO MXの情報番組5時に夢中!』、2006年10月~2007年12月はテレビ東京の『レディス4』の司会を務めていました。

長男には娘がいて、徳光和夫さんは2021年8月には孫は『25歳で、広告会社に務めている』と話し『孫娘の結婚式は、こちらがお金を出してでも司会をやらせてもらえたら』とも話しました。

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