鳥取県出身の女優・司葉子さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
女優になったきっかけは?
結婚歴や夫は?
子供は何人?
今回は女優の司葉子さんについてリサーチしてみました。
司葉子の学歴・生い立ち・経歴
名前 司葉子
生年月日 1934年8月20日
出身 鳥取県
身長 160cm
血液型 AB型
所属 東宝芸能
高校・・境高校
大学・・共立女子短期大学
鳥取県西伯郡渡村(現在の鳥取県境港市渡町)出身。
実家は因幡三郷士のひとつに数えられた名家。
父親は実業家でしたが、6歳の時に他界。
姉が2人いる3人姉妹の末っ子。
高校は境高校を卒業。
境高校は、鳥取県境港市上道町にある男女共学の県立高校。
現在の偏差値は50。
野球の伝統校で、1952年に甲子園に初出場し、2016年までに8回出場しています。
大学は共立女子短期大学家政科に進学。
共立女子短期大学は、東京都千代田区一ツ橋にある私立大学。
現在の偏差値は47~50。
大学卒業後は、大阪の新日本放送(現在のMBSメディアホールディングス)に入社し、総務課の専務秘書を務めていました。
司葉子が女優になったきっかけは?
『「家庭よみうり」の表紙を飾ったのがきっかけでスカウトされ東宝と契約。 』
引用 https://www.toho-ent.co.jp/
司葉子さんは、新日本放送の総務課に勤務していた時に、知人の推薦で雑誌『家庭よみうり』の表紙を飾りました。
その表紙を目にした、東宝の映画監督・丸山誠治監督が、主演女優が病気降板して企画がストップしていた映画『君死に給うことなかれ』の代役として、司葉子さんをスカウト。
映画出演には家族は大反対でしたが、1本だけとの約束で出演しました。
司葉子 女優デビュー後
司葉子さんは1954年8月公開の映画『君死に給うことなかれ』の池部良さんの相手役で女優デビュー。
当時、20歳でした。
映画出演は1本だけの約束で、司葉子さんも女優を続ける意思はありませんでしたが、
『もう1本だけ池部良の相手役をやってみないか』
と勧められ、読んでみた映画『不滅の熱球』の脚本の面白さに引かれて、出演を承諾。
以降、東宝の看板女優として活躍。
1958年には雑誌『平凡』の読者人気投票ベストテンで、東宝の女優として唯一、女優部門第9位にランクイン。
1966年6月公開の主演映画『紀ノ川』では、
第9回ブルーリボン賞・主演女優賞
第40回キネマ旬報・主演女優賞
第22回毎日映画コンクール・主演女優賞
日本映画記者会賞・最優秀女優賞
など数々の映画賞を受賞しました。
司葉子の結婚歴や夫は?
司葉子さんが結婚したのは1969年9月。
35歳の時の結婚でした。
夫は当時大蔵官僚だった相澤英之さん。
年齢は15歳年上で、結婚時は50歳。
相澤英之さんは結婚歴があり、息子も2人いましたが、妻には先立たれていました。
夫の相澤英之さんは1974年6月に退官し、1976年の第34回衆議院議員総選挙に、司葉子さんの出身地である旧鳥取全県区から自民党公認で立候補し初当選。
以後、9期連続当選。
1990年には、第2次海部内閣の経済企画庁長官として初入閣。
2003年の第43回衆議院議員総選挙に鳥取2区から立候補しましたが、落選。
2019年4月に肺炎のため、99歳で東京都の病院で死去しました。
司葉子さんと相澤英之さんの馴れ初めは、塚葉子さんがフランス語を教えてもらっていた先生に、お礼をしようと開いたレストランでのパーティーだったそうです。
そこに一番上の姉の夫である義理の兄が連れてきたのが、同級生だった相澤英之さんでした。
相澤英之さんと親しくなると、大蔵官僚というお堅いイメージとは違い、映画や芝居の話で盛り上がり意気投合。
出会って半年後にプロポーズされ結婚したそうです。
司葉子の子供は何人?
司葉子さんの子供は3人。
子供は3人とも息子です。
長男と次男は夫の相澤英之さんの連れ子。
三男は1971年3月に誕生しました。
三男の宏光さんの妻はタレントの相田翔子さんです。
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