沖縄県出身の俳優、声優・津嘉山正種さん
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
俳優になったきっかけは?
結婚歴や妻、子供?
今回は俳優で声優の津嘉山正種さんをリサーチしてみました。
津嘉山正種の学歴・生い立ち・経歴
名前 津嘉山正種(つかやま まさね)
生年月日 1944年2月6日
出身 沖縄県那覇市
身長 176cm
血液型 B型
所属 劇団青年座
高校・・那覇商業高校
大学・・大学には進学していません
沖縄戦当時は1歳で、沖縄で米軍の空襲、砲撃を経験。
後におぶって必死で逃げた母親に、
『正種、あんたが泣き虫じゃなかったから、生きてこられたんだよ』
と言われたそうです。
赤ん坊の泣き声で敵に気づかれるとして、日本兵に殺された赤ん坊もいたといいます。、
戦後は現在のうるま市にアメリカ軍が設置した収容所で生活し、家族で那覇に戻ったの小学2年生の時でした。
小学校に校庭には、米軍が残した砲弾の破片や薬品などの残骸が埋まっており、毎日授業が始まるまでの1時間、掘り起こしをさせられたといいます。
高校は那覇商業高校を卒業。
那覇商業高校は、、沖縄県那覇市松山にある男女共学の県立高校。
現在の偏差値は40~45。
高校卒業後は大学などには進学せず、地元のテレビ局・琉球放送で働きました。
津嘉山正種が俳優になったきっかけは?
『地元のテレビ局で番組制作に携わっていたが、ドラマ作りなどの役に立てたいと芝居の勉強をするために退社した。』
引用 https://www.cinematoday.jp/
津嘉山正種さんは高校卒業後、琉球放送に勤務しながら、地元の劇団『創造』していました。
1964年に上司の勧めもあり退社し、。パスポートと1年間で貯めた200ドルを持って上京。
当時の1ドルは360円の固定だったので、200ドルは日本円で7万2000円でした。
当初は数年で沖縄に帰るつもりでした。
何も調べずに上京してしまったそうで、養成所などの願書の締め切りがどこも終わっていたそうです。
元々は舞台の大道具などを作成する裏方志望でしたが、知人に教えてもらった劇団青年座の募集が、裏方を募集していなかったため、俳優として受験。
受験者は70人くらいで試験は3日で、内容はリズム感、音感、体操、パントマイムなどでした。
面接では女優の山岡久乃さんに、
『アルバイトをしないとダメなのね』
と聞かれなしたが、
『何とかします』
と答え、研究生として所属が決まったそうです。
20歳の時でした。
津嘉山正種 デビュー後
劇団青年座の研究生に合格後、夜はバーテンダーのアルバイトをしながら、昼は演技を学びました。
当初は、3年で沖縄に帰るつもりでしたが、俳優として何か1つでも身につけてから帰りたいたレッスンを続け、7年かけて劇団員に昇格しました。
1970年頃からは、洋画や外国テレビドラマの吹替え・アニメーションなどの声優としても活動を開始。
声優としての吹き替えの持ち役はケビン・コスナーやロバート・デ・ニーロなど。
アニメでは『ワンピース』のゴール・D・ロジャーを担当したことでも知られます。
1980年には蜷川幸雄演出、平幹二朗主演の『NINAGAWA マクベス』に出演し、1985年の再演では準主役格のバンクォーを演じ、1987年には主演を務めました。
津嘉山正種の結婚歴や妻、子供は?
津嘉山正種さんの妻はオペラ歌手の成田絵智子さん。
成田絵智子さんは1937年生まれで、年齢は7歳年上のようです。
子供は息子が1人いるようです。
息子は2008年から沖縄の普天間でラーメン店『麺神まるよし』を経営。
2017年からは北谷でも営業しているようです。
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