柳葉敏郎の結婚歴や妻は?子供は何人?高校、大学などの学歴や経歴・生い立ち

秋田県出身の俳優・柳葉敏郎さん。

生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?

芸能界デビューしたきっかけは?

結婚歴や妻は?

子供は何人?

今回は俳優の柳葉敏郎さんについてリサーチしてみました。

柳葉敏郎の学歴・生い立ち・経歴

名前   柳葉敏郎
生年月日 1961年1月3日
出身   秋田県
身長   171cm
血液型  O型
所属   融合事務所

 

柳葉敏郎の学歴

小学校・西仙北町立刈和野小学校

中学校・西仙北町立刈和野中学校

高校・・角館高校

大学・・大学には進学していません

秋田県大仙市(旧仙北郡西仙北町)出身。

父親は絵師で、映画館の看板などを描いていました。

母親は小学校教師。

兄弟は妹。

父親は生活費を全く入れなかったため、母親は子供たちを連れて刈和野町(現在の大仙市)の実家に戻り働きました。

別居していた父親は小学校3年生の8歳の時に、38歳で脳溢血のため他界しています。

小学校は西仙北町立刈和野小学校、中学校は西仙北町立刈和野中学校を卒業。

中学時代はソフトテニス部に所属。

高校は角館高校に進学。

角館高校は秋田県仙北市角館町小舘にある男女共学の県立高校。

現在の偏差値は52。

高校は下宿して通いました。

高校時代もソフトテニス部に所属し、将来は体育教師になりたいと思っていました。

大学受験をしましたが失敗。

浪人生活も送りましたが、大学には進学せずに芸能界に進みました。

柳葉敏郎が芸能界デビューしたきっかけは?

『作曲家の中村泰士氏から「君たちは歌を甘く見てる」と指摘されたことだったという。』

引用 https://www.sponichi.co.jp/

柳葉敏郎さんは大学浪人時代に予備校に通っていましたが、ろくに出席せずにぷらぷらしていたそうです。

そんな時に、地元で行われた日本テレビの『スター誕生!』の予選に参加。

合格ラインの250点にわずかに達せず不合格になり、その際に作曲家の中村泰士さんに『君たちは歌を甘く見てる』と指摘されたといいます。

柳葉敏郎さんは歌手になりたくてオーデションを受けたわけではありませんでしたが、自分の心の中を読まれてしまったという悔しさがあったそうです。

『その中村先生に向かって行けるのは東京しかないな』

このことがきっかけで柳葉敏郎さんは上京し、劇団ひまわりに入団しました。

柳葉敏郎 一世風靡セピアで歌手デビュー

柳葉敏郎さんは上京後、劇団ひまわりを経て、渋谷で劇男一世風靡の前身の『零心会』の路上パフォーマンスを見てメンバーに加入。

『零心会』はスターダストプロモーションに所属していましたが分裂。

柳葉敏郎さんはスターダストプロモーションから飛び出したメンバーに入り、『株式会社一世風靡』を結成。

劇男一世風靡のメンバーの中から結成された『一世風靡セピア』のメンバーとして、1984年6月に『前略、道の上より』歌手デビュー。

当時、23歳でした。

『一世風靡セピア』は1989年7月に解散しました。

柳葉敏郎 俳優として

柳葉敏郎さんがは1980年7月にドラマ『ひまわり戦争』(フジテレビ系)に出演。

1983年9月からは、バラエティ番組『欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子(フジテレビ系)』に『良川先生』としてレギュラー出演。

1987年10月からドラマ『男女7人秋物語』に横山健役で出演。

以降は多くのトレンディドラマに出演。

1997年1月から放送された刑事ドラマ『踊る大捜査線』シリーズの室井慎次役は一番の当たり役となり、2005年8月に公開されたスピンオフ映画『容疑者 室井慎次』は、興行収入38億円を超えるヒットになりました。

柳葉敏郎の結婚歴や妻は?

柳葉敏郎さんが結婚したのは1997年。

36歳の時の結婚でした。

妻は一般女性。

年齢は13歳年下。

『フジサンケイクラシックというプロアマのゴルフ大会を見に来たギャラリーの人』

引用 https://asajo.jp/

柳葉敏郎さんが出場した、フジサンケイクラシックでファンとして、大きな声で、

『ギバちゃん頑張って!』

応援し、最後まで一緒にコースを回り、その途中で手渡された手紙の中に電話番号が書いてあったため、柳葉敏郎さんから電話をして交際がスタート。

出会ったのは33歳の時で、約3年の交際期間を経て結婚しました。

柳葉敏郎の子供は何人?

柳葉敏郎さんの子供は2人。

子供は娘と息子です。

長女が2000年2月

長男が2008年4月

に誕生しています。

柳葉敏郎 現在は秋田に移住

柳葉敏郎さんが秋田に移住したのは長女が小学生に入ると同時でした。

『子どもたちに何をしてあげられるかということが自分の中にずっとあって。東京ではそれができなかったんですね。自信がなかったんです。じゃあそれができる所はどこかって思ったら、生まれて育った所だったんです。』

引用 https://www.sponichi.co.jp/

柳葉敏郎さんは小学校3年生の時に父親が他界したため、父親にしてほしかったことがたくさんあって、それを子供にしてあげたいという気持ちがあったと話しています。

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