東京出身の俳優・柳楽優弥さん。
高校などの学歴や経歴は?
妻は女優の豊田エリーさんですが馴れ初めは?
子供は何人?
今回は俳優の柳楽優弥さんについてリサーチしてみました、
柳楽優弥の高校などの学歴・経歴
名前 柳楽優弥
生年月日 1990年3月26日
出身 東京都東大和市
身長 174cm
所属 スターダストプロモーション
小学校・東大和市立第二小学校
中学校・東大和市立第二中学校
高校・堀越高校
大学・進学していません
小学校のときにサッカーを始め、中学ではサッカー部に所属していたいといいます。
中学時代にサッカー部にいたことは映画『泣くな赤鬼』の舞台挨拶で明かしています。
再開したい人について聞かれ、サッカー部の先生を挙げていました。
初めて出演した映画『誰も知らない』のプロフィールには将来の夢はサッカー選手かが俳優と書かれています。
中学時代に俳優デビューし高校は堀越高校のトレイトコースに進学。
同級生には黒川智花さん、ジャニーズの薮宏太さんがいました。
柳楽優弥の芸能界デビューのきっかけ
柳楽優弥さんは子供の頃に芸能事務所に所属していた友達がドラマに出ていたのを見て、
『自分も周りを笑わせたい』
という理由で芸能界入りを希望したそうです。
小学6年生のときにジャニーズ事務所に履歴書を送って応募。
応募から1年後に合格の連絡がきたそうですが、そのときはすでに芸能事務所『スターダスト』に入っていた上、映画も撮影中だったため合格を辞退しています。
ジャニーズには入りませんでしたが、時期的にKis-My-Ft2の玉森裕太さんが同期になるのではないといわれているようです。
その後、スターダストに応募して合格し所属。
初めてのオーディションが映画『誰も知らない』でした。
監督の是枝裕和さんに
『目に力がある』
と主役に抜擢され映画デビューしました。
映画『誰も知らない』の撮影は1年かかったため、俳優デビューは2003年7月から放送されたフジテレビ系ドラマ『クニミツの政』がデビューになっています。
2004年8月、映画『誰も知らない』が公開。
同映画は2004年、第57回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品。
柳楽優弥さんは2004年度の第57回カンヌ国際映画祭で、史上最年少および日本人として初めての、
最優秀主演男優賞
を獲得。
日本人で初めて男優賞でもありました。
柳楽優弥さんは学校の試験のため先に帰国し、授賞式には監督の是枝裕和さんが代理で出席しました。
柳楽優弥さんは一躍有名になり、『TIME』誌アジア版では「2004 Asia’s Heroes」に日本ではイチローとともに選出。
2005年7月『星になった少年 Shining Boy & Little Randy』
2006年9月『シュガー&スパイス 風味絶佳』
2007年7月『ジーニアス・パーティ 「BABY BLUE」』
とデビュー以降、毎年主演映画が公開されました。
柳楽優弥と妻の豊田エリーの馴れ初めは?
柳楽優弥さんと豊田エリーさんが結婚したの2010年1月。
19歳のときでした。
妻の豊田エリーさんは1歳年上。
馴れ初め・出会いは高校。
柳楽優弥さんと豊田エリーさんは同じ堀越高校の先輩後輩でした。
高校1年生のとき、学校近くの公園で友人ろ談笑していた1年先輩の豊田エリーさんに柳楽優弥さんが一目惚れしたそうです。
高校の帰り道に同級生をを通して話しかけ、連絡先を教えたといいます。
柳楽優弥さんの誠実な人柄にもひかれ、交際
に発展。
しかし、堀越高校は交際がバレると謹慎処分だったそうで、バレないために2人は約束事を決めました。
その内容は、
『校内でしゃべりかけない』
『他人の目があるところでは別々に歩く』
『伝言は手紙でやり取りし、物的証拠を残さない』
『手作り弁当を渡す時は、廊下ですれ違いざまに渡す』
といったものでした。
結局、高校時代には交際はバレませんでした。
初めてのプロポーズは柳楽優弥さんが17歳のとき。
しかし、豊田エリーさんに
『18歳にならないと結婚できないよ。』
と言われ撃沈。
当時、柳楽優弥さんは男性は18歳ならないと結婚出来ないことを知らなかったそうです。
2年後の19歳のときに改めてプロポーズして、交際4年で結婚しました。
柳楽優弥の子供は何人?
柳楽優弥さんの子供は1人。
子供は娘です。
2010年10月に生まれました。
娘は2800グラムで誕生。
柳楽優弥さんは出産に立会い、
『こんなに感動したのは初めて』
と泣いて喜んだといいます。
2021年現在、第2子が生まれたとの情報はありませんでした。
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