ドラマ『おくさまは18歳』に主演し、若い頃はアイドル的人気だった岡崎友紀さんの学歴や軽経歴は?
結婚歴は2度で、夫や再婚相手、子供は?
人工股関節手術とは?
今回は俳優の岡崎友紀さんをリサーチしてみました。
岡崎友紀の学歴・経歴
名前 岡崎友紀
生年月日 1953年7月31日
出身 東京都千代田区
身長 159cm
血液型 AB型
母子家庭で育ち、兄弟はおらず一人っ子。
母親は元NHKのアナウンサーで、満州放送局に勤務していたことがあり、元NHKアナウンサーで俳優の森繁久彌さんは職場の同僚で、幼少期には森繁さんの豪邸に訪れたこともあったといいます。
小学校は千代田区立富士見小学校を卒業。4歳からモダンバレエを習い、小学生の時には母親の勧めで、東宝芸能学校の児童科に入学。1961年、8歳の時に舞台でデビューしました。
当時は生活が貧しく、東宝芸能学校に入ったのは安い月謝でレッスンが受けられたからだといいます。
子役として舞台に出るようになり、大手新聞が劇評で岡崎さんの演技を褒めた記事の載ると、それを見た森繁さんが劇場に訪ねて来てくれて、
『あ、やっぱり経子ちゃん(岡崎の母)の子だ。この仕事をしてるってどうして知らせなかったんだ』
と怒られたといいます。
1966年に森繁さんの誘いで、NHKドラマ『太陽の丘』に出演。1968年には連続テレビ小説『あねいもうと』に妹・とし子 役で一年間主演を務め、全国的は知名度を得ました。
『あねいもうと』はNHK大阪製作だったことからは、中学校は大阪女学院中学校に通いました。
大阪府大阪市中央区玉造二丁目にある私立中学校で、偏差値は54。
高校は麹町学園女子高校に進学。
東京都千代田区麹町三丁目にある私立学校で、偏差値は53。
高校卒業後は、日本大学・芸術学部映画学科(偏差値55)に進学し、脚本コースに進みましたが、後に退学しました。
ドラマ『おくさまは18歳』でブレイク
高校に入学後には、バラエティ番組でも活躍し『ヤング720』(NHK)などでは司会も務めました。
1970年9月から放送された『おくさまは18歳』は最高視聴率33.1%を記録する大ヒット。
高校教師と女生徒との秘密の結婚による騒動を描いたコメディドラマで、タイトルは18歳でしたが、実際は16歳でした。
同ドラマの大ヒットで、岡崎さんはアイドル的は人気となり、当時の人気のバロメーターだったブロマイドの売り上げは、46ヶ月連続首位を獲得。
16歳から23歳までの記憶はあまりないといい、忙しすぎて眠かったことしか覚えていないといいます。
1970年3月には歌手デビューを果たし、1972年10月の『私は忘れない』がヒット。
1980年6月に覆面歌手「YUKI」名義で発売した『ドゥー・ユー・リメンバー・ミー』もヒットしました。
同曲は2001年2月にキタキマユさんがカバーしてヒットすると、同年3月にシングルCDとして再発売されました。
1964年にミュージカル『アニーよ銃をとれ』に出演して以降は、ミュージカルでも活躍し、1970年代には毎年のように、ミュージカルに主演。
1991年には劇団『NEWS』を結成。2000年代にかけて、若手俳優の指導育成に当たり、自ら脚本・演出・振り付けを手掛けた定期公演を行っていました。
2010年7月には、第22回参議院議員通常選挙で民主党から非拘束名簿式比例代表制で出馬しましたが、落選しています。
結婚歴や夫、子供は?
岡崎友紀さんの結婚歴は2回、離婚歴も2回です。
最初の結婚は1978年12月で25歳の時でした。
夫はソニー共同創業者盛田昭夫の長男で、1歳年上の盛田英夫さん。
1976年10月にパーティーで出会い、交際をスタートさせましたが、結婚に盛田英夫さんの父親の盛田昭夫さんは大反対で、何度説得しても頑なに反対し、反対を押し切っての結婚でした。
結婚式は近親者20人ほどの規模でしたが、父親の昭夫さんは参加しなかったといいます。
離婚したのは2円3ヵ月後の1981年4月でした。
再婚したのは1986年、33歳の時。夫は3歳年下でミュージシャンの岩倉健二さん。
しかし、結婚20年目の2006年。50歳の時に離婚しています。
4年ほど前から別居し、していたといい、離婚の原因については『20年の積み重ね。』とコメントしました。
どちらの結婚でも子供はいませんでした。
人工股関節手術とは?
岡崎友紀さんは2023年に両脚とも人工股関節の手術を受けました。
十数年前から股関節が悪く痛みもあり、大丈夫だと自分に言い聞かせて生活していましたが、ついに足が1cmしか上がらなくなり手術を決意したそうです。
手術は成功し問題なく歩けるようになり、人工股関節は30年維持できるといいます。
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